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■ ガンバレ日本 | 2011. 4. 2 |
少し斜めに世間の動きを見ていると、野次馬的好奇心を動機とした民間ボランティア活動、世間的ウケを狙ったパフォーマンス的寄付合戦、募金活動、単なる同情心だけの浅薄な慰め言葉。 いずれも決して悪いことではないけれど、日本の北国に突如として襲いかかった大海嘯たる大津波の無残で目を覆うばかりの、まるでじゅうたん爆撃、大空襲の後の都市のような残骸とガレキと、まともな建物の無い空虚な光景をそこに住む人が間近で見た時には恐らく言葉もなく、感情や感傷もなくただ茫然自失の一方で、その災害に殆ど無縁の人々から見ているとやはり対岸の火事であるのだ。 ・・・そのことが少し悲しい。 何故かというに、どんな慰めの言葉も通用しないと思えるからだ。 いろいろな物資や義援金やボランティアの人々の存在は大きな励ましになるであろうし、多いに勇気づけられるものなのであろうし、それはそれでとても美しい行為ではあろうけれど・・・決して当事者ではないのだ。 それが九州の山の中にいる心医者の正直な感想である。 だからどうだ・・・というワケではないけれど、おだやかな春の海であった筈の3月中旬に、その美しい日本の海は悪魔のように黒々とした泥水を腹中に抱え込んだ数万トンの水塊となって街を、人を、クルマを、建物を飲み込み、咀嚼し、粉砕し、そして何事もなかったかのように、それこそ何喰わぬ顔で元の静かでおだやかな表情を取り戻し、悠然と東北の岸辺や港と対峙している。 何かしらの腹立たしさを感じずにはいられない・・・のは筆者だけであろうか。 大人しい紳士面をした市井の凡人が、実はどう猛な連続殺人鬼であって、その大量殺人は一瞬で治まったとは言え、その犠牲者の痛みや苦悩がはかり知れないものとしても誰も罰することもできず、恨み言を並べ立てる相手もいない。 こんな事態の際にも東北の人々の無口で秩序正しい忍耐強さを見せられるにつけ、ますます全国民が深い同情心と共感とを感じているらしいことが救いであり、多くの人々の同胞への助けようというさまざまな意思と行動には本当に深く感動させられる。 かの地の工業製品の一部は世界のシェアの40%だそうな。 世界経済に与える影響もかなり甚大であるらしい。 パフォーマンスでも良い、好奇心でも野次馬でも良い。 こんな危急な時だ。 すべて結果往来。 人や物が寄り集まって、何だか無茶苦茶に活動していれば日本人の生来的気質であれば、自然に復興していくのではないだろうか。 そしてそれは意外に短期間に完成し、もっと美しい心豊かな国になるのではないか。 そんな気がしている。 亡くなられた人々への心よりのご冥福と被災された人々の1日も早い「元の生活」「より豊かな生活」の復元と発展を祈りつつ・・・。 何も行動しないことがやはり今は一番悪いことのような気がする。 ガンバレ日本。 ガンバレ日本人。 何だかやはり他人事ですネ。 これではイケナイ・・・と思いつつもそれぞれの生活があるワケだし、とにかく東北の被災した友人にはリストにあった物品を送り、少しだけの義援金を振込み何となく自己満足している自分が情けないけれど・・・。 「北の海、知らぬふりして桜花」 この季節、震災をよそに、いつものように美しく咲き誇る桜。とはいえ、「今年は花見などする気にならないなあ」・・・というのが大方のマジメな日本人の正直な感性なのではないだろうか? ありがとうございました M田朋久 |