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■ 11.3.11 | 2011. 3.17 |
まるで2・5・2の救難信号、SOSのようにならぶこの数字は、多くの日本人にとってr歴史に残る忌まわしい記念日となった。 日本列島の東半分の東海岸を襲った大地の強震は多くの人々の生命を奪い去り、原子力発電所の破壊による放射能被害の拡大という未来への不安というオマケつきで大きな爪痕を残していった。 人間の営みなど、人類が高度な文明・文化を築き上げても水辺にできた蟻塚の周辺を這いまわる小さな蟻たちを襲う土砂降りの雨のように、脆くもはかなくも一瞬のうちに崩れ去ってしまうもののようだ。 この歴史に残る大地震、大津波が起こった瞬間には多くの日本人の中に事態のこれほどの深刻さ、甚大さの全容を正確に知り得た者は殆んど皆無であった。 1日1日時を重ねるごとにその人的被害(膨大な人命の喪失)の確認と水道・ガス・電気などの所謂ライフライン、道路や建物、生活必需品の調達などを可能にするさまざまなインフラの破壊の状況は刻々と深刻化しているように見える。 さらに厳しい春の寒さが追い討ちをかける。 東北地方の東側海岸線の居住者の人口など本当はアッという間に算出できる筈なのに、マスコミの報道にはその正確さと信憑性を期すあまり慎重すぎて、当初から被害程度の予測が立てられず、消防や警察、政府や自衛隊の対策や活動もやはり、どちらかというと後手後手であった。 マスコミの報道の仕方も、ラジオの方がテレビよりも暖かく援助的・救援的であるのに対し、テレビのそれは悪く言うと野次馬的でパニックムービー的でショービジネス的でコメンテイターの声調も「対岸の火事」のように無機的で冷淡に思える。 それは総理大臣のコメントにも表れていて、少しも国民の心を打たない、只の対応であった。 3月16日には天皇陛下の「お言葉」を聞くことができ、国民は大きく勇気づけられ、慰められ、癒やされるように思える。 まるで天国のようなのどかな春の日々を謳歌しているように見えるこちら九州でも霧島山の新燃岳や鹿児島の桜島の噴火、東海地方でも静岡県の地震といずれも不気味で執拗な日本列島のへの小さなアタックはつづいている。 春とは言え、東北地方はまだ冬と言っても良い。 飢えと寒さ、不自由な避難所生活、家族や仲間たちの確認されていない行方不明者、被災された人々の惨状を見ていると、誠にお気の毒である。 そうしてこんな時に感動的なのが国内・海外からのボランティアや政府機関、軍隊など多くの人々の救援活動である。 人々はもともと助け合って生きているのだ。 純粋に無償の愛とは言えなくても世界中の有志の人々が集まって来て被災者の救援・支援活動を黙々と精力的に、スピーディーに行なっている。 とりわけ米軍の大量で迅速な対応には驚かされる。 流石に世界中の戦争状態を経験しているだけに「災害」には強いようだ。 適宜適時で無駄がなく行動がマニュアル化されているように見える。 結果的に平和ボケした日本政府などよりはるかに頼もしい感じがする。 もともと戦争に災害はよく似ている。 人工的か自然的かの差異があるだけで、インフラの破壊と人命の喪失という結果は同じである。 困窮した生活に必要なもの、必要な事柄がただちに了解・理解できるのであろう。 皮肉なようだが、防災についての検討と災害時の対策については戦争大国であるロシアやアメリカとの徹底した会議や協議が必要なのかも知れない。 まるで神の怒りに触れたかのような極東の平和で美しい敷島への大自然の痛打は日本人に何を教えようとしているのであろうか。 小利、私欲を捨てお互いに「助け合うこと」「愛し合うこと」「心をひとつにすること」を多くの人命とひきかえに人々に伝えようとしているかのようだ。 日本中が心を痛め、涙を流している。 中には落ち込んでいる人も多い。 さまざまな思いで、日本中がこの未曾有の大災害の影響と結果を見守っている。 被災者の為に「できることはできるだけしていこう」。 これが日本人としての最低の義務であろう思える。 どんな環境であれ・・・。 「共に耐えれることは共に耐えてゆこう」 最低限そこで利益を得ようとか、物資を買い占めようとかの浅ましい行動だけは慎むべきであろう・・・と思える。 当然ながら要請があればただちにそこに出て行く用意と物心両面にわたる援助をしてゆこう・・・と秘かに決心している。 これって当たり前ですね。 濱田朋久 |