コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 大腸検査  注)食事前とか食事中の方は読まないようにして下さい。2011. 3. 9

若い時から腸が弱いと信じていて、学生時代には今でいう過敏性大腸炎という病名を専門のお医者さんから頂戴し、大学時代に数年間治療を受けても下痢腹痛が治らず悩んだことがある。

その頃の写真を見ると、ガリガリに痩せこけて髭を生やし、ボサボサの頭でまるでジャングルから現れた旧日本兵のような趣であった。

自分の学ぶ大学病院で大腸検査なるものを受けて、当時はまだ大腸内視鏡があまり普及しておらず大腸造影(造影剤と空気を肛門から入れてレントゲンで透視して大腸粘膜を観察する)というもので、これは20才時、つまり大学時代と30才頃開業医になった頃を含めて計2回経験していた。
結果は何の異常も無かったのであるが、下痢とか便秘とかは常のことで、腹痛や腹部の違和感は日常化して常に体調不良を訴えていた。
母親の勧めもあり、断食や菜食・減食などを試したりした。

40才代になると長年の経験と本の知識から食べ物の影響がきわめて重要であることを実感し、自分の体には肉食や甘いものは合わない(いずれも大好物なのであるが)とあきらめてセミベジタリアン、つまり魚を少し食べておかずの殆んどを植物性のものにしたところ、特有の便通異常は全く消失し、便の色も黄金色で所謂快便となって、50代になると腸のことは大腸癌が増加していると知識で分かっていても殆んど気にかけていなかったところ・・・。
昨年の暮れに院内での定期の検査で肝機能に軽い高値(つまり異常値)を認め、C型・B型の肝炎検査も異常なし。
まさか肝臓癌ではないかと超音波検査(画像診断)を受けてみたが全く異常がない。
この時点では大腸検査は注意していなかったのであるが、心優しい友人の内科医の勧めもあり、大腸内視鏡を受けてみることになった。

つまり医者ならご理解できることであるが、
@大腸癌
A肝臓転移(転移性癌)
B全身転移
というこの身も心も凍りつくようなオソロシイ最悪のストーリーを瞬間的に思い描いたワケである。

若い頃に或るお医者さんから怪しげな検査機械で検査を受け(一般の医療で認められている)、「貴方は腸が悪いですヨ」と言われたことも思い出され、菜食主義でそんな筈は無いと思いつつも気になっていたことなので、地元でもナカナカ評判の良い若くてハンサムで物腰の優しくおだやかな声の大腸肛門科を開業している4才年下のドクターに自分の腸を診てもらうことになった。
ヤレヤレ。

そこはやや小ぶりながら風雅なたたずまいの瀟洒な建物で、明るい待合室と感じの良い受付と、これまた感じの良い清潔なナース服の看護師さんとかがマスクをつけて立ち働いている柔らかなBGMの流れる、丁度高原のリゾートホテルのような空間で、更衣室でお尻に穴の開いた検査着の上に洗い立てのパジャマを着せられ、緑の屋外を眺められる明々としたサンルームのような豪華な革張りの待合室のデッキチェアーで雑誌を持って待っていると、すぐに担当のナースに呼び出され点滴を繋がれ肩に注射を打たれ、心地良い気分で「マナ板の上の鯉」になっていると、数人のナースの後ろからおごそかに件のドクターが現われ、テノールとバリトンの中間くらいの暖かくおだやかな声で何やら説明をしながら肛門から塩ビとグラスファイバーと金属でできた細長い蛇のような管を入れられ、お腹をゴソゴソとくぐらせて我が臓物の管空を一生懸命のぞいてくれている。

前投薬で打たれたセルシンという鎮静剤の効果もあって、これは意外にもまるで夢心地のようで何の不安もなく、むしろエステサロンで腸のマッサージを受けているような按配で何ともいえないココロモチのような良い体験であった。
結果などどうでも良いかなぁーなんて感じてウトウトしていると「先生見ますか」とドクターに問われたので、自分の腸の内部などは見たくなかったので「イエ、イイデス」と瞑目したまま答え、そのまま検査台の上で眠りこけていたら「終わります」のドクターの声で起こされ、天使のように美しいナースに点滴をはずしてもらい、その美しいナースは以前に准看護学校で10年くらい前に教えた生徒であると思い出し、ますます心地良くなってまた必ず検査に来ようと決心して検査室を出てスーツに着替え、ドクターの説明を聞き、自分で運転して自分の医院に帰り、自分の患者さんを淡々と診察し、ヤレヤレあの死ぬほどの心配と恐怖はいったい何だったんだろうと思いながらその一日を終えてこれを書いている。

1日のうちで診療の合い間に超音波検査も大腸内視鏡検査も受けれるというのも自分が医者であり、トモダチのドクターがいてくれるからであるから有難いことである。
その上「センセー」「センセー」とドクターはじめスタッフの皆さんから大切にされて、こちらもますます丁寧に御礼を言いながら対応するのであるけれども「異常なし」とも言われたら天にも昇る心持ちになるのは当然かもしれない。

「生命があっただけで良い」
「健康こそ人生の宝である」

なんていう心境はほんの一瞬で吹き飛んでしまい、いつもの悩みだらけ、憂鬱さだらけの日常に逆戻りしてしまったので、この我が心の現金さ、調子の良さにはホトホト嫌気が差してくる。

「人生は生命あってのモノダネ」
限りある人生を有意義に真剣に一瞬一瞬を砂漠で味わう冷たい水のように愛しみながら生きるのに、この検査前の心境、つまり最悪の状況のイメージによる激しい恐怖と冴え冴えとした覚悟を維持させるにはいったいどんな工夫がいるのであろう考えてこれを書いている次第である。

その日は夕方に大金とクレジットカードと免許証の入った財布まで紛失して、ほどなく発見され、ますます「失くしたと思ったものが戻ってくる」という有難さと同時に、もっと上手に使っておけば良かったというのはお金も人生も同じなのではないだろうか・・・と思うワケである。
その失くしたもの(健康とかお金)とかの大切さをしみじみと味わい、感謝し、それ以外の悩み事の小ささを思う時、いつもそこにある生命とか健康とか日常のありふれた平凡な出来事の有難さに思いをいたす習慣をつける為に常に「最悪の状態」を念頭において暮らしていくことではないだろうか。
「もっともっと」と欲望をたぎらせたり、健康以外の「悩みの消失」を願ったりするのは一種の贅沢なのではないだろうかと思うに至ったワケである。

幸福は今ここにある。
そしてそれは失くしてしまう前に気づかなければ、イヤ「一ペン失くした」と言う心境にならなければ決して味わうことのできない幸福感なのではないだろうか。

たとえば失くしたと思った財布が出て来て、失くすよりは遣って遊ぼうとか、困っている人にあげようか。

損なわれたと思ったら健康が健やかにそこにあったとしたら、どんな風に自分が生きていくのであろうかと思う時、死ぬほどの苦しみを味わった人が人生を変えて好転させていくように、自らもその心境を維持させる為にこのことをいつも憶えていようと思う。
「ノド元過ぎれば熱さ忘れる」にならないこと。
今回の自らの大腸検査体験を通じて痛感した一種の悟りのような心境である。

つまり、いつも「忘れない」ことである。
元は何も無かったんだと・・・。

「病の恐怖のオソロシサを・・・」
「金銭を失くしてその有難さを・・・」
それらを決して忘れまいと決心し時々ではなく毎日思い出すようにすれば良いのではないだろうか。

ありがとうございました
濱田朋久



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