[戻る] |
■ 健康のための医療 | 2011. 2. 2 |
一般的に考えられているように、医学が健康の為の学問であるとは必ずしも言えない。 一度このコラムでも書いたように、医学は主に病気について学ぶ学問であり、その上栄養学とか人間学とか日常生活の行動・習慣・態度など人間の健康増進に資する大切なことをを学べるものは少ない。 医科学、生理学、病理学、せいぜい臨床診断学、臨床治療にとどまり、決して健康増進の為の学問ではない・・・というのが個人的な現在の医学教育についての筆者の感覚である。 そもそも医療というものは今の保険医療制度、つまり経済的には健常者が支え、病気の人がその供給を受けるものである。また、やや過激なたとえであるが警察と犯罪者の関係のように病人が存在しないと成り立たない「業」である。 基本的に社会のマイナスの面の問題解決をし、援助するものである。 このことが多くの医療制度の矛盾を含んでいるのでそのことについて少し述べておきたい。 「予防医学」という言葉がある。 その名のとおり病気を予防する為の医学というワケである。 それぞれあまり好きな言葉ではないが「プライマリケア医」とか「総合医」とか「かかりつけ医」とか「ホームドクター」とかが中心になって、人々にそのような働きかけを行っているようである。一部の医者や知識人の中にはこの言葉を使って国民の意識を「健康」へ導こうとする意図が少し感じられて割りに倫理的にまっとうで善良な傾向とも言えよう。 「健康診断」などというものも、どちらかというと予防医学的なものである。 概ね自覚症状の無い成人病(生活主観病)の殆んど、たとえば高血圧・糖尿病・高脂血症・癌など早期には殆んど自覚症状の無いものは集団的な健診で早期に発見した人々に治療を促そうとするもので、これまたコンセプトとして何の間違いも無い。 しかし見方を変えるならばそれは警察の「ネズミ取り」とか覆面パトカーによるスピード違反の取り締まりとか飲酒運転の検問のようなもので、「犯罪者」を摘発すると同時に「異常者」をつくり出す作業とも言える。 何の自覚も無かった人がいきなり「あなたが高血圧です」とか「糖尿病です」とか「胃癌です」とかいきなり言われてビックリしてしまうというのが個人から見た正直な実感なのではないだろうか。 まるで青天の霹靂。 突然、医者や健診担当者からロクに医学知識を持たない人々がこれらのご託宣を受けたら、人によっては凍りつくような失意と恐怖のドン底に落とされたような心持ちになるかも知れない。 時には脳卒中(脳出血や脳梗塞、脳血栓)や心臓病(心筋梗塞や狭心症)のうように突然襲ってくる強烈な自覚症状を持つアタック(発作)まであったりして、人々は常にそれらに恐れおののいている・・・(一部の人であろうけれど)多くの人はそれらの病気への注意を殆んどせずに呑気に好きなものを好きなように食べて健康を維持しているのであるから考えてみれば大したものである。 医療が国民の健康維持、もしくは健康増進に重きを置くならば本来は「未病」つまり病気にならない方法を伝えるべく広く啓蒙するべきであろうが、現実の制度はそのようになっていないようだ。 さらに社会全体もそれらのムードを醸成しているようにも思える。 たとえば糖尿病である。 このややこしい病気にならない為には食生活を中心とした「生活指導」が最も重要なのであるが、これについての医療制度上の点数、つまり経済的評価はその実効性に較べてきわめて低い。 さらにこの病気は重ければ重い程本人は困って周辺の人は儲かる。 糖尿病性の眼症(網膜症や白内障)になって眼科的治療や手術を施され、四肢の壊疽や壊死を起こして切断をされ(外科治療)、腎臓が悪くなって人工透析を受け内科的には入院となってまさに一人の人にかかる医療費たるや莫大なものになって高額医療の申請をするとかなりの自己負担が軽減されるが、その一か月の費用たるや数十万から数百万に及ぶと考えられる。 ところが簡単な生活指導など、その自己負担たるや数百円であるので、その健康という黄金のプレゼントがチョットした知識で得られ、少しの忍耐心と実行力、継続力さえあればそのような曲々しい「病気」などに至らず健康と若さともしかして美を謳歌できる筈なのである・・・。 けれども医療経済の受益者、たとえば製薬メーカー、医療機器メーカー、一部の医療機関などはこの病気の重症度に応じて利益を得るという仕組みになっているので、ホントはとてもオソロシイ医療制度の盲点というか弱点、悪徳を生む土壌をもっていると自覚しておく必要があるのではないかと思える。 ・・・であるので糖尿病の治療のウルトラCの決め手である「カーボカウンティング療法(炭水化物制限)」などというものが社会に少しも浸透していかないのではないかと・・・少し悪意に勘ぐってしまうのである。 それは人々においしい物もいっぱい食べてもらって病気になってもらわないと利益を上げられない「経済人」や「ビジネスマン」がいっぱい存在するからである。 これらの人々がもし、このカラクリを明瞭に自覚して商売を行っているのであれば犯罪者、いや殺人者とも呼べるかも知れない。 ドロボーや殺人者がいないと困る警察や警備会社やカギ屋さんや保安会社のようなものでる。 自分の身を守るのは自分しかいない。 それは正しい知識と少しの自制心と実行力である。 これらは未病のための知識もまた嘘やデマカセも巷にあふれている。 正しい知識を提供して生活の指導をするのが医者の役目と確信しているので、その経済性を無視してドンドン新しくて正しい結果を患者さんに出す知識や情報を提供して悦に入っていたが、これはもしかして自己満足かも知れない。 今やその経済性を無視して存在できないのが現代の日本医療機関の実態であるのだが、利益を上げようと決めたならどこまでもあげる可能性の業態であるけれども、そのことを社会もマスコミも為政者も分かっているのか、分かっていないのか、無視しているのかいずれにしてもやや悪徳のほうが儲かるシステムだというのは真実のようである。 マジメに正直に医療行為をしたいと思っているドクターにとっては腹の立つことばかりかも知れない。 次の機会にでもその実態をあげて検証してみたい・・・。 つづく。 ありがとうございました 濱田朋久 |