コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 11月の雨2011. 1.11

「オータム・イン・ニューヨーク」
「スウィート・ノヴェンバー」
いずれも秋の恋物語を描いたアメリカ映画で、恋人の女性が若くして病死するハリウッドの映画としてはめずらしく結末のハッピーエンドではない両作品である。

「オータム・・・」の方はエンディングに赤ちゃんが産まれたりして少し救いがあるが、「・・・ノヴェンバー」の方は、突然美しい恋人の消え去ってしまった11月の荒涼とした秋景色が激しい寂寥と深い虚無を表現していて物凄く悲しい映画であった。

この世界で心の底から純粋に最も愛したと言い切れる、少し気性は激しかったけれど素晴らしく素敵で無邪気で明るく天真爛漫で気立ての良い女性を亡くしたのも同じく11月であった。
何の前ぶれもなく、突然におとずれたこの激しい喪失の痛み、行き場のない悲しみは2年を経た今でも少しも癒える気配がない。
多分一生涯癒やされることは無いような気がしている。
一生この悲しみと共に生きて行くことになるのであろう。

彼女は小雨の降る11月27日、薄暗くどんよりとした曇天の日の午後3時過ぎに心肺停止状態でかかりつけの医院の看護師に発見された。
恐らく前の晩からつづいた喘息の重積発作を自分一人で気管支拡張剤の吸入器だけで耐え抜いて、翌日の午後遂に息絶えたのだ。

それは一見、孤独死とも自死とも取れる死にザであったらしい。
8畳1DKの小さなアパートのホットカーペットの上で、普段着のままで横たわっていたそうである。
枕元には焼酎の瓶とタバコの吸いガラで盛られた灰皿。
午後4時に携帯電話で知らせを受けた筆者が駆け付けた総合病院の救急室に横たわる、その細く白い体は細身のブルージーンズと着古した濃紺のフード付きのスウェットセーターに短いボーダー柄の短い靴下。
長く美しい髪と小さな白い整った顔には酸素マスクがつけられ、若い医師と看護師が交代で心臓マッサージと人工呼吸のアンビュバッグを規則的に絞っていた。

手を握ると、それは思ったより暖かく柔らかくとても優しい感触で、ただ眠っているだけではないかと思えたほどであった。
気は動顛し、混乱し、途方に暮れ、ただ手を握り、顔を見つめ、医師達の動きを見守るだけであったが、手を握りはじめて10分くらいすると不思議なことに心臓がポツンポツンと動き始めた。
しばらく見ているとハートモニターが規則的で力強い心拍動の報知音をピコンピコンと打ち始めた。
まるで筆者の到着を待っていたかのような生命徴候の再生であった。
その時になって「生き返るのでは」と微かな希望も湧き、神に祈りたいほどの有難さと安堵で涙が目から噴水のように湧き出て来た。

救急室からICUに移され、家族が呼ばれ彼女は白々とした病室に寝かされ、悲しみと不安と困惑とで騒然としているベッドを囲む人々の中心で相変わらず深い昏睡状態で自発呼吸がもどりそうな気配は無く、眠り姫のようにベッドに沈み込んだままであった。

我ながら情けないことに、自分はと言えばただただ声を殺して泣きつづけるばかりである。
顔を覆い立ち上がり、しゃがみこみ、天を仰ぎ、うなだれ「どうしていいか分からない」
「なんでこんなになったんだ」。
頭の中はそんな自問自答の繰り返しと激しい感情の雨嵐と支離滅裂な思考と今日から始まるかも知れない孤独への不安と恐怖とで爆発しそうであった。

医師や看護師たちに説得されるまま、彼女の母親は遂に4時間余りつづけられていた人工呼吸をやめる決断をした。
機械につないで植物人間状態になることの無惨さ、悲惨さを医師や看護師に諄々と説得され促されるままの自然で思い切った決断であった。
彼女自身と同じく気丈で潔い実の母親は激しい混乱の中、決然と愛娘との永遠の別れを選択したのだ。

ハートモニターが心臓の拍動停止を報せた時、家族や血縁者達の号泣が湧き起こった。
午後7時23分。
死亡確認。
この世のモノとは思えないほど美しい死に顔であった。
享年42才。

手をさすり、髪を撫で、頬をさすり最後の別れをした。
もしも家族がいなかったなら、一晩中亡骸を抱いて泣きつづけたかも知れない。
病院を出ると、外は真っ暗な闇夜で冷たい小雨が街のすみずみまでしっぽりと濡らしていた。

その後はあまり憶えていない。
どうして家に帰ったのか、どうして自宅での通夜式に行ったのか・・・。

12月に入り、彼女のアパートの部屋を母親や兄弟たちと一緒に「引き払うこと」になった。
風もなく、雲ひとつなく晴れわたった青空の日曜日であった。
時々目を潤ませながらひとつづつ遺品をダンボールに詰めたり掃除をしたりした。

彼女が最後までずっと持ち歩いていたバッグの中身の一部を母親からソッと手渡された。
それは私の書いた彼女への短い手紙と私自身のサングラスをかけた笑顔の写真であった。

以来、彼女のことを思う時、涙の途切れたことはない。
心の中はいつも悲しみの涙で湿ったタオルのようにいつも濡れそぼっていて一度も乾いたことはない。
もし神様がいて夢を叶えてくれるなら、それは只ひとつ、彼女が生き返ってくれること・・・ただそれだけ・・・なんて思うことがある。

「さようなら。
そして、ありがとう。
こんな自分を愛してくれて、そして愛させてくれて。
丸事すべてゆるしてくれて。
必ず、また会えるよネ」

追伸
「時々『君と一緒にいる』って感じる時があるんだ。
それは、思い出の音楽を聴いている時。
思い出の場所で、思い出の風景を眺めている時。
そんな時、君は星空の中にいる。
美しい音楽の中にいる。
澄み切った青空の中にいる。
心地良い風の中にいる。
そうして自分の心の中に、この世の全ての中にいる。
そんな気がするんだヨ」

ありがとうございました
濱田朋久



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