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■ 恐れと愛について | 2010.12.30 |
結論を述べると「恐れは愛を駆逐する」、凌駕すると言っても良い。 これは主に男女間のもので、親子の愛情問題については少し異なるようだ。 相手を心から愛していて、長く付き合って行きたいならば決して恐れさせてはイケナイ。 特に男の場合、或る特定の女性を愛し過ぎて・・・と言うより好きになり過ぎて・・・というよりヤリたくてストーカーと見まごう程に追いかけまわしたり、ギラギラした目で見つめたりしない方が良い。 殆んどと言って良い程相手の女性に強い恐怖感を与えて、物凄く嫌われるか、逃げられて深く傷つくかする羽目になる。 女性にモテたいなら、恐れられるより「可愛い」と思われるくらいが良いらしい。 母性本能をくすぐるからだ。 だからと言って甘えて良いという訳ではない。 社会的・経済的には篤く保護しているという条件があってこその母性本能である。 どちらかというと孤独な雰囲気が良いと思える。 明るい性格で孤独を好む人は自由を愛する人だ。 自由人は普通にしていて憧れられ、時々愛され、時に嫌われる。 だいたい20代の男性はあまり女性に人気がない。 何故ならその欲望の強さに多くの女性たちが恐怖を抱くのだ。 そういう欲望の強い男女のカップルならとてもうまくいくことがあるけれど、それは相性の問題でもある。 子供の出生でもあったりしてたらうまくいかなくなることもある。 どちらかが我慢をすることになる。 また両方我慢しているケースも多い。 ほとほと男女の愛ほどムツカシイものはない。 性的関係が中心のカップルの場合には一般的に「恋」は4年で殆んど終わってしまう。 どんなに熱い恋も不思議なことに4年以内に終る。 後はお互いに何らかの性的、経済的、生活利便的に相手を必要とする場合にその関係性か、美しく表現すれば「愛」としてつづいていく。 こういう関係性も「深い愛」というとても美しいものに変容していくことがある。 「深い感謝」というものかも知れない。 それぞれの気質にもよるが、そういう男女が存在しないワケではない。 まだまだ希望がありそうである。 その美しい関係性も「恐れ」を持たされると一気に冷え込むので注意したい。 相手を恐れさせずに愛するというのはどんな工夫が要るのであろうか。 ひとつには「寛容さ」だ。 これは男性の側に特に必要な気質、性向である。 神経質で細かくて高飛車で傲慢な男ほど嫌われる存在はない。 おおらかでゆったりしていてそれでいてアタマが良く、頼りがいがあり、いつも上機嫌で何となく明るい性格なら男からも女からも愛される。 最近の若い女性が好む男性の一番は何と「従順な男」「何でも言うことを聞いてくれる男」らしいが、これは先述した理論を証明するものである。 それだけの男など「男」として何の魅力も無いのだけれども「寛容さ」のひとつの表現としてならナカナカ捨てがたい性格なのだ。 このようなどちらかというと受動的な態度というものは意外に男としての魅力になり得るのだから驚きである。 女性から見ると怖くて小ウルサイ男よりはるかにマシなのであろう。 今の「草食系の男子」好みというのも大人たちが侮蔑的に言い立てる程女々しくはないのかも知れない。 強い意志と忍耐を持って「草食系」であるなら、おバカで単純な「肉食系」より相当魅力的なのではないだろうか。 「辛抱」という言葉は辛さを抱くという意味らしいが、芯棒と書いてたら男のシンボルのようでもある。 昔NHKの連ドラに「おしん」というのがあって、世界的に、特にアジアで人気を博したらしいが、しんぼうの「しん」で「おしん」なのであろう。 いつの世も黙って忍耐する男女は健気で美しい。 ヤクザ映画での高倉健とか、藤沢周平や山本周五郎の描く時代小説のヒロインたちも忍耐の人そのものだ。 いずれにしても男女共うまく付き合っていきたいなら相手を恐れさせないこと・・・。 ただし、共存関係にある男女の場合この限りではない。 アル中の男と世話好きの女性(人のお世話をすることでしかアイデンティティーを確認し得ない女性。 だらしのない女性に立派な男。 これらの人間関係のパターンなど依存、被依存が絶妙なバランスで或る変わった特定の不健全な男女関係が存在していることもあるが、それでも「恐れは愛を駆逐する」という原則は厳然と存していると考えて良い。 何でも愛し過ぎるのは良くないようだ。 歌手「さだまさし」が言っていたが「愛は小出しにするべき」だそうである。 この言葉も何だかいじましくて姑息で個人的には賛同できないが、お互いが胸いっぱいの愛で優しくおおらかに相手を包み込むというのが最も美しく長つづきする愛のカタチではないだろうか。 相手に恐れを抱かせないという意味で・・・。 ありがとうございました 濱田朋久 |