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■ ヤマト | 2010.12.28 |
大和と書いてヤマトと読む時は日本国のことをあらわしている。 それがダイワであれば銀行か証券会社か、せいぜい建設会社の名称であろう。 太平洋戦争の時に建造された帝国海軍の世界に誇る巨艦「戦艦大和」は、その性能を思い切り使うこともなく、大した働きもせず終戦前の春、沖縄戦の特攻戦艦として暖かい東シナ海に敢え無く沈没してしまった。 まさに悲劇の戦艦であり、そういう日本国の心意気、大和魂を象徴的に現代にも語り継がれているのが戦艦大和の凄いところであり、日本人の心に永遠に残っている特別な「船」なのである。 大和魂という言葉もある。 昔、ハワイ出身の日系アメリカ人のボクサーがいて「ヤマトダマシイ〜」と盛んに吠えながらリング上で暴れまくり、多くの日本人の人気を博した。 戦艦大和か特攻隊のように自らの生命を捨てて国を守る奉国の精神を大和魂と呼ぶのであろうか。 桜花、富士山と共に大和もまた古き時代の日本人の精神的バックボーンに厳然とあるシンボリックな言葉であり存在であろう。 松本零士の原作漫画「宇宙戦艦ヤマト」が現在公開中である。 元祖日本人イケメンスター、我らが木村拓哉、通称キムタクを主演にバイプレーヤーを名優山崎努、西田敏行、柳葉敏郎で固めたアニメではなく実写のSF映画である。 これを観て思い出したのがブルース・ウィリス主演のハリウッド映画「アルマゲドン」である それに近々のヒット作、ジェームズ・キャメロン監督の「アバター」である。 これらの3作品の共通点は、星(地球)を守る為に戦うというもので、最も古い原作は「ヤマト」であるので、ひょっとしたら後発の2作品はリメイクではないけれど少なくとも准リメイク作品と言えるかも知れない。 放射能の問題もあり「ゴジラ」をはじめとした一連の怪獣映画も想起させられる。 スペースものSFというのはみんなワンパターンで、一人もしくは数人の自己犠牲で多数(人類とか地球)とかを守るというもので、見方を変えれば「大和魂」そのものである。 日本人の感性というのは武士道のテキスト的書物、佐賀鍋島藩士山本常朝の「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」のとおり、男というもの、武人というものは自らの生命を国の為に散らすことこそ本懐であるとする美学というか掟があるけれども、生命の本質というものは「生殖」であるので「子孫の為に死ぬ」「子孫を残して死ぬ」ことそのものが「一般民衆の為に死ぬ」「忠義の為に死ぬ」「主君の為に死ぬ」というワケで、生命の活動の純粋で法則的な流れと思える。 このような物語に殆んどの人が「美」を感ずるとすれば、それは精神の深いレベルの「愛」それも「人類愛」とか「同胞愛」とか、それ以上の「生命への愛」まで至った感性を持ち得ていて、或る意味人々の健全な精神レベルであることを示していると思える。 それにしてもキムタクはカッコヨカッタあるネ。 これまた昔の映画「トップガン」のトム・クルーズのようでもあり、先述したブルース・ウィリスのようでもあり、とにかく男のカッコヨサというものを 集約すれば強さと優しさ、その上に或る分野の才能とリーダーシップ、さらに人を愛する力とそれにともなう自己犠牲となるのであろう。 上記した男のカッコヨサの中でも最も多面的才能を要するのがリーダーシップであるが、このあたりの難しさをこの「宇宙戦艦ヤマト」はうまく表現していた。 多数の為に小数を切り捨てる決断というのは最も単純で基本的なリーダーの態度、考え方であるが、これには深い人間愛と優しさがともなわなければ次々と算数的に決断していたら人がついて来なくなるので、リーダーとして存在することができなくなるであろう。 生命の理論としては全く逆もあって、或る一個の生命の為に他の大多数の集団を切り捨てるという決断もあり得るワケで、これは人間や他の生命の受精とか優秀な遺伝子を残す為に時々生じる生命の摂理である。 人類の戦いの歴史というものがこの考え方に基づいているのではないかと思える。 人間の行ってきたさまざまの戦争というものは、これらの国や社会のリーダーたちが行って来たもので、優しさや愛や強さや才能才覚、自己犠牲や優れたリーダーシップ、つまり男性ホルモン、つまり好戦的な嗜好と自己顕示欲が絡んで一気に暴発し発生するようである。 こうして考えてくると戦争というものが人類全体のひとつの本能であり、進化発展に欠くべからざるものでもあると言えるかも知れない。 「・・・ヤマト」の物語でも出てくるイスカンダルという桃源郷的な星と、ガミラスという極めて好戦的で破壊的で支配的な星が同一の星であったという「秘密」、コインの裏と表のように愛と暴力が非常に似通った特性を持つということも表現していていかにも示唆深い物語となっている。 こういうことを好み、こういう戦いを懲りずに繰り返しながら人類は進化して来たことも確かな事実である。 近代の科学技術の発展の多くが戦争によって、もしくは競争によってもたらされたという事実も見逃せない。 映画の中の「大和」は空飛ぶ潜水戦艦のようでとても美しいモノであった。 軍用の飛行機や戦艦や潜水艦の好きな筆者としてはこういうところも見どころたっぷり、最高であった。 ただ内部が少しチャチだったですネ。 フェリーの車両収納スペースかなんかが船内の格納庫に仕立ててあったようだ。 もともと松本零士は、先の世界大戦の空戦モノの漫画が多く、好きで読んでいたが、その画像をよりリアルに再現してあって、物語・キャストの出来等を含め「アバター」や「アルマゲドン」に比肩する出来ではなかったか・・・と個人的な評価はしている。 ありがとうございました 濱田朋久 追記@角川春樹氏の復帰第1作がやはり「男たちの大和」という映画で、これは結構ヒットしたようだ。 これは原作が女流作家、家田荘子である。 調子に乗って制作した若き日のチンギス・ハーンを描いた「蒼き狼」を同じ反町隆史を主演で撮ったが、これは興行的にはコケた。 柳の下にドジョウは二匹はいない」ようだ。 追記A大和撫子という言葉もある。 これは日本人の女性を指すが、字面のとおり「おしとやか」な女性に対しての呼称であろうけれど決して弱い女性のイメージではない。 イザとなったら短刀かナギナタでも持ち出して戦うというような激しい性格も内包されているイメージがある。 単純に字義を辿れば。大和(日本人の男性)を撫で撫でしてくれる女の人みたいな存在であろうか。 強く優しくて愛情深くてみたいな・・・。 そうであれば憧れますネェ。 |