コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ ハローグッバイ2010.12.14

日本語に訳すと「さようならこんにちは」となるんであろうか。
確か昔のテレビドラマにそういうタイトルがあったような気がする。

東京の大学(本当は神奈川県)に出て来て、偉い大学の先生から英国人作家クローニンの「城砦」を読めと言われて素直に読んでみたところ、医者になった主人公が勉強して人間的に成長していく物語なのであるが、家庭的にはチョット波乱が多く、結婚、離婚、再婚と何回か繰り返していくのを読んで「何だこれは」と意外にフマジメな小説だなぁと思ったものである。

当時は一度結婚して永遠の愛を誓った男と女が簡単に別れたりくっついたりするのはケシカラン・・・などと思ったのであろう。
何だか虚しくなって読了せずに二度とその本を手に取らなかった。
そうして何故か知らないけれど結構有名な作品であるのに、今は本屋でもあまり見かけない。

しかし年をとって50代後半になると、人生とは「出逢いと別れ」の連続で、それは確かな永遠の愛や友情も良いけれど、そんなにコトが単純に運ぶワケもなく、一人の女性、一人の男性が永遠の愛を貫くというような物語には今でも憧れたりはするものの、実際の人生というものは「さようならこんにちは」の連続なのであるまいか・・・と思える。

日本語か中国語か知らんけれど「一期一会」なんて言葉もあるくらいで「次はもう会えないかも知れない」というような覚悟で持って人と接していきましょう、出逢いを大切にしましょうという意味で受け取っているが、たとえ家族であっても「行ってらっしゃい」と見送った夫や子供が永遠に帰らぬ人になったりする危険もなきにしもあらず・・・なワケであるから・・・。
「人生は時間」であるという考え方からもこれは言える。
時と共に人間の心は変化し、強い欲望も衰え、嫉妬心も薄まり愛も消えていく・・・淋しいけれどそんなものなのだ。
そうして新しい出逢いを求めて彷徨ってゆく「孤独な旅人」というのが生きとし生けるものの宿命なのではないだろうか。

その孤独な旅の道中で「旅は道連れ」なんて感じで気軽に付き合ったのが結婚だったり、同棲だったり、長い愛人関係だったり、友情だったり、我が人生を振り返ってみてもそう思える。
全ての出逢いは「旅のお友」になりうるんではないだろうか。
それが深い仲になり得るし、つかの間の「行きずり」だったりするのはホンのささいな言葉や、今は携帯電話などという不気味な自由通信機器まで出来て「行きずり」も一瞬にして深い仲へ進展してしまう可能性がある時代である。

少し自己中心的に人間の出逢いと別れを分析的に捉えるとそのように思える。
何だか大変なことのように思えるし、人生そのものではないかと思える。

色々な人が去っていった。
あの世に旅立った人もいる。
一緒にいても心が離れてしまった夫婦や男女も多いかも知れない。

そうして時間が来たらどなた様も永遠の「さようなら」合掌。
チ〜ンである。

これが分かっていて何故にそんなに人はみな愛欲にまみれ、金銭欲や名誉欲や地位欲にまどわされ右往左往しのたうちまわるのか。
名も花も実も、実のところ根、つまり心や魂があってこその存在なのである。
物欲でもって人生を渡って来た人にちがいない。
個人的にはそうとは限らないと思う。

物というものがどれくらい人間を幸福にするものなのであろうか。
その人の感性にもよるがモノには生命には無いので、人間の方が先に「さようなら」せざるを得ない。
それが理屈で分かっていて何故「物」や「物欲」なのか分からない。

割に知的な人間ですらこの物欲から解脱できない人が多い。
物は現世でしっかりと存在しつづけ、生命のようにはあの世にはついては行けない。
けれども当然ながら人間は必ずどんなに偉い人もどんな金持ちもあの世に行かなければならない。
大切な「物」でも「さようなら」しなければならない日が必ずやってくるのだ。
こうして考えてくると、益々心が物から遠ざかり、人や愛や精神や時間や目に見えないあらゆる「モノ」に目が行く。

時間なのである。
愛なのである。
人なのである。

食べ物は快楽を生むが、最終的には活動のエネルギー減となり、残りカスは排泄物となる。
つまり生きる手段、燃料みたいなものである
燃料に生命をかけるのもおかしい。
自動車が好きな人がガソリンにこだわるであろうか。
ガソリンはガソリンである。
人間が食べ物にこだわるのも分からないではないが、それは食べるという行為に深い快楽が伴うからだ。
燃料(ガソリン)は燃料、食べ物は食べ物であるのだ。

何だか断定的に書き連ねているが、自身の感性と少しもフィットしない人も多いであろう。

しかし以上のことは厳然とした事実であり、物の道理である。
心理や道理が分からないくらい人間は忙しいのであろう。
だから何だかいつもあくせくしているが、どうでも良いことは地道をあげて喜んでいる・・・、もしくは苦しんでいる。

「さようなら」は確実にどんな関係性の中にもおとずれる。
そのことを心の底から悟った時、確実に生き方が変わる・・・のではないはないだろうか。
このことは忘れたくない真の理である。

ありがとうございました
濱田朋久

追記
しかし「ハローアゲイン」という歌もあったなぁ。
確か40年近く前のヒット曲でギルバート・オサリバン。
この人もアイルランド人である。
ビートルズのメンバーも皆さんリバプールの出身であるが、実は全員アイルランド系の英国人であるらしい。



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