コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 走れエロス2010.12.11

今年ももう師走(しわす)である。
「先生が走る」というワケである。
医者は12月は忙しい。
風邪が流行するし、昔はインフルエンザなどといういかにも曲々しい呼称の伝染病の流行があった。
ところが今は一生懸命マスコミでその流行を煽っている。
実際には予防注射を希望しての来院は流行していてもインフルエンザそのものの流行など昨年冬頃からピタッと止まってしまった。
つまりマスコミで盛んに言っている大流行予測とは裏腹に例年どおりの流行なんて全くない。
・・・というのが実態である。
インフルエンザ検査キットとか予防注射をつくっている製薬会社とか為政者たちの何かの陰謀であろうか。

インフルエンザは別にしても、冬には血圧も上がりやすく、脳卒中、心筋梗塞の発作も多く日照時間が減る為かうつ病も増加するか悪化するようだ。

お年寄りも冬を越すのは大変である。
暖房機も要るし防寒の服も温かくて栄養たっぷりの食事もいる。
喉もかわかないのに乾燥するので便秘も多い。
たかが便秘などと侮ってはイケナイ。
万病の元という説もある。
寒いと筋肉も硬くなってケガもしやすいし、心も緊張してストレス状態と同様の精神を生じさせる可能性もある。

或る僧職の方のお説には師走の師は坊主であるそうな。
年末年始にお寺の住職が多忙になるのかは不明であるが「死人が多く出る」という意味では医者も坊主も忙しくなる筈であるからあながちうなづけない話でもない。

「スケベ医者」とか「ナマグサ坊主」の言葉もあるように師が走る12月はやはりここは「走れエロス」のタイトルでいきたい。

筆者のアタマの中での「師」はやはり学校の先生である
戦前の教育者の養成機関は「師範学校」と言っていたからさらに絞って師走の師は「学校の先生」という設定で話しを進めたい。

最近はクリスマスが大嫌いとかお正月が苦手という人が増えたが、ひとつにはクリスマスのディナーデートなんていうおぞましい習慣がマスコミで盛んに喧伝されてデートの相手のいない寂しい男女やデートがしたくてもできないのっぴきならないフクザツな関係の男女とか、家庭が崩壊しかかっている家族のメンバーとか、そこに所属する男女などは学校が夫婦や男女が仲睦まじく集うこの二つの冬のイベントは嫌らしくてタマラナイのではないだろうか。
それこそウツ病の元である。

教育者というのは聖職者同じく神に仕える人くらいの志を持つ人が行うべきもので、これはミッション校、たとえばカトリックだとかプロテスタントだとか中には神道や仏教系の幼稚園から大学まであったりするけれど、どちらも「聖職」と思える。
何故なら人を教え導く、教化するというのは人間が人間にできる最良最大のサービス、もしくは義務として課せられるもので、これを人間社会の維持発展、人類の福祉にとって欠くべからざるものである。
これを聖職と呼ばずして何と呼ぼう。
人間は生まれた時から人間ではなくて、教育されて人間になるのですから・・・。
人間をつくるという意味では社会的にもっと高く位置づけられるべき職業と思える。
それも幼児教育から小学校低・中学年というのは人格形成にとって極めて重要な時期である。
その教育者の資質として最もだいじなものは「人間愛」即ちエロスではないかと思える。

筆者が好むアダルトビデオの最高のモノは所謂女教師モノで、それはひとつには中学から高校、ついに大学まで生徒も教師もすべて男ばかりの教育環境にいたせいか女性教師がこの世に存在するというのがとんでもなく卒倒しそうなくらいの、失神してしまうくらいのエロスと驚きで何とも言えずエロティックな職業だなぁと感嘆しつつそれらの画像を眺めている。
それは現実にはあり得ないような設定になっているのであるけれど、いかにも知的で優しい清楚な感じのスカートを穿いた女の先生なんて信じられない女神のような存在である。
小さな子供を「教える」女の先生ほどセクシーなものはないと思えるが、これはマザコン傾向にある男性の全てに特徴的に存在すると思える。
モチロン、ロリコン傾向にある男性の場合、これとは真逆で愛する女性が子供を産んだ途端にその性的興味を失うという結果になり、こちらの方が或る意味より悲劇的である。

少年時代に最も印象に残った小説がこのパロディー的タイトルの原題となった太宰治の「走れメロス」であり、「信じる」ということの重大さとその危うさを知らしめる物語の中に走ることとエロス(先生)のことを無理矢理にひっかけただけである。

このような理由で女の先生というのには物凄く憧れを抱くのであるけれども、実際の先生方はどちらかというと日焼けして男のように逞しく、スカートでなくパンツかジャージ姿で少なくとも外見的にはセクシュアリティーを強調しておられる先生はあまり多くないよ
うだ。
それなりにオシャレはなさっているようではあるけれど・・・。

寒風をついて走る「師」は医者も坊主も教師もお華の先生も茶道の先生も塾の講師も落語の師匠も代議士のセンセイもそれなりにセクシーではある。
どんな人でも仕事をしている姿ほどセクシーなものはないそうで、筆者の遊んでいる姿しか見ていない人は女性も男性もあまり好きになってくれない・・・。
これは考えてみれば当然のことである。

「教える」とか「伝える」というのは一番の勉強であるので、先生たちがアタマが良く「学んでいる」と考えがちであるが、これは錯覚である。
この落とし穴の一番は教えている内容が普通にしていればどんどん陳腐し、パターン化され、単純化され、実際には殆んどアタマを使わない状態になるからで、「師」と呼ばれる人達の一部しか優秀な頭脳を晩年まで保ちつづけることは難しく、医者も教師も代議士先生も意外に認知症が多く見受けられる理由と考えられる。

つまり自分で思っているほど先生たちも「師」も勉強はしていないし、アタマも良くないのに自分で勝ってそうではないと考えておられるようだ。
このことは筆者として全く例外ではない。

追記@
先日、認知症のテストをしたらとりあえず満点であったけれど、ドキドキするくらい緊張した。
つまり、一生懸命頑張って及第した感覚なのだ。
これから筋肉だけで脳もトレーニングせねばなるまい・・・と考えている。

追記A
アルコールとクスリと眠気と疲労とでボーっとしていると意外に筆は進む。

ありがとうございました
濱田朋久


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