コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ ひとひらの雪2010.12.10

流行作家であり文壇の重鎮であらせられる渡辺淳一氏の作品で、津川雅彦、秋吉久美子主演、根岸吉田郎監督がメガホンを取り映画化もされた。

マンションで独り暮らししている女好きの売れっ子建築家が別居中で妻と職場の部下の愛人の家を行ったり来たりしている生活をしている間にひょんなことから秋吉久美子演じる清楚で妖しい魅力を放つ人妻との深い仲になり、恋の深みにどんどんはまって行き、最終的には奥さんに離婚もされ愛人にも去られ、独り住まいのマンションの一室で孤独に和テーブルに突っ伏しているという映画のラストであった。
桜の花びらと雪のひとひらと椿みたいなさざんかみたいなワビスケとか言う一輪挿しの花かなんか脇役であったり和服で観劇したり蛇の目傘だったりして日本情緒あふれる今のところの不倫映画のハシリであったと思う。
自分の妻より独身の愛人より人の妻の方が良いというのは昔からよくあることで、ごくごく卑俗な意味で女性の皆さんには失礼ながら「オンナ」の番付けでは「一盗二卑」と言って一番は人妻で二番は使用人、現代風に言えば職場での部下かお手伝いさんみたいな女性が良いらしい。

何だかワカラナイでもない。
こういうパターンは割に多くて病院の先生とか中小企業の社長さん、商店主とか校長先生とか結構ありふれた事実なのかも知れない。

この渡辺先生の作品はこの後も不倫したがり、つづき日経新聞連載小説「失楽園」「愛の流刑地」とつづく。
前作は森田芳光監督が撮り結構ヒットした。
確か「・・・流刑地」の方は根岸監督だったけれども、「ひとひら・・・」からすると出来ばえはイマイチだった。

渡辺作品では個人的には、医者という職業として一番映画化して欲しいのは「無影灯」であるが、これは不倫物語ではない。
不治の病を抱えた若い医者の物語で暗い影と医者特有の虚無と希望とがうまく表現されていた。
テレビドラマ化は何回もされたが、確か映画にはなっていない。
結構イケルと思うけどなぁ〜。
内容が屈折していて暗すぎるのかも知れない。
2時間の枠では真意が伝えきれないのかも知れない。

それはさておき、今回は不倫がテーマだ。
先日、本屋さんに行ったら何と不倫のコーナーが出来ていてビックリしたのであるが、流石にお客さんの顰蹙でもクレームでも買ったのか、そのコーナーは数日で撤去されていた。
先述したように、昔から「良い女」と言ったら人妻ということになるのであるから仕方の無いところだけれども、渡辺先生のお説によればもう恋は不倫以外には描けないそうで、昔のように戦争も身分格差も通信障害も男女差別も全く取り払われた現代では或る意味現代は恋の不毛時代かも知れない。
「不倫は文化だ」と言い切った坊ちゃんおじさんの石田純一というタレント俳優もいて世間の顰蹙であったけれど、文化というより人間の中で強烈な欲望である男と女の性と愛の剥き出しで軽微な社会的疾病つまり「“性”活習慣病」みたいなものではないだろうか。

確かに他人の奥さんは独身の女性より魅力的であるらしい。
何せ人のモノだから・・・。
倫理的にというより男性に対してのマナーとして手を出してはイケナイ気がするが、言い訳じみているけれど恋の主導権は女性が握っているものであるから「一盗二卑」を本能的に知っていて活用(?)しているのは女性の方ではないかと思える。

性も愛もその欲望の強さは女性の方が圧倒的に強烈であるらしい。
このことを渡辺淳一先生もよく見抜いていて「愛の流刑地」ではこのことが良く表現されている。

「女」が好きな「男」を独占する為に自らの生命をも「あがなう」というのは物凄いことで、男には少し理解しづらい。

男は女性に対してはどうしても甘ちゃんで、僕ちゃんで、甘えん坊で、単純で単なる遊びの道具、オモチャくらいに思っているケースが多い一方で、女はまさに生命がけのであるのだ。
モチロン、ケースバイケースであろうけれど・・・。

時々、男に生命がけで恋をする男がいるがこれは愚かな男というより純粋で良い男のように思える。
その相手がたとえ悪い女でも簡単な色じかけで騙されるような男や女というのはいずれも魅力的で可愛いものである。
愛おしいとさえ思える。
人妻は他人のモノである。
しかし実際はモノではないので所有できる存在ではない。
そもそも人間が人間を所有したり支配することができるのであろうか。

純粋な愛ならば、所有や支配ではなく「心のつながり」「心の絆」みたいなものであるので、既婚者も独身も人妻も妻帯者も本当に全く無関係でそれぞれに自由な愛を実践していてどんな人もそれを制限できないのではないかと考えている。

何度も述べているように、心に立て板や柵はできないのだから・・・。
まして男と女の間にそんな障害でもあったならば、その恋は逆に燃え上がってしまうのは理の当然であろう。
男と女が心身共に密着しようとするエネルギーを恋と呼ぶなら・・・。

そろそろ雪のシーズンだ。
人生をひとひらの雪のようにはかないものとやや虚無的に悟ってしまえば、燃えるような恋に生きるというアイデアも良いかも知れない。

ありがとうございました
濱田朋久


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