コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 内科開業医のお仕事2010.12. 9

今年も早十二月。
アッという間の1年であった。
久々に激動の1年あったと言っても良い。
あろうことか、正月早々の8日に大学の同級で同年の学友が突然死した。
同じ有床診療所を経営する内科の開業医で、確か父親は弁護士さんであった。

また同じ頃、他の同級生も殆ど前ぶれもなく卒然と自らの命を絶った。
勤務していたか開業していたか不明であるが、同じ内科の医者である。
どうもまともに医者仕事をしていたワケではなさそうである。

前記した男は、学生時代から筆者と仲も良く、結構一緒に酒を飲んだりしていた。
当時からバイク乗りで、クルマ好きで、ついで女好きであった(これは当たり前ですネ)。
同窓会誌によると、開業医としてかなり多忙であったと聞く。
もともと真面目な男であったし、晩年の写真を見るとパサパサの銀髪で相当に神経を使って仕事をしていたことがうかがえる。
筆者とて黒に染髪していなければ同様のアタマであろうと思う。
他の開業医の同級生の話を聞くと、有床(ベッドを持って)クリニックを開業すると、健康を損なうというのが彼らの通説のようで、確かにベッドもあり往診するような患家があり、かかりつけと認めてくれる人々を全てまんべんなくキチンと診るとなると生半可な覚悟でできる生易しい仕事ではない。
「生命を預かる」という表現はあまり好きではないが、或る面真実でもあるのだ。
筆者が一年間にかかった患者さんの総数をカウントすると二千人近くになる。
真面目に仕事をしていたらとうてい診れる患者さんの数ではない。
筆者の場合は他市(熊本市)に一軒店(有床診療所)を持ち、別に80床の介護老人保健施設を運営し、もう一ヶ所30床の特別養護老人ホームに理事長としてかかわり(今は辞任している)考える事が山ほどあり、頭がパンクしそうであろうと思えるが、意外にそんなことはない。
規模が大きくなると、任せられることも多くなって楽な面もあるものだ。
「任せる」という術は確かに経営者としての仕事としても開業医としての仕事としても身につけておくべき重要なスキルである。

開業数年目くらいから看護師さんや事務スタッフの教育に力を入れてきたが、これはひとえに己が楽をする為である。
筆者自身の父親や先述した同級生のように夭逝、早逝したくないというのが本音である。
大学の勤務医時代の超ハードで寝る時間も無い程一年中殆んど無休で働いていて、急に都落ちして無理矢理に死んだ父親の後継ぎをさせられたワケであるから、27才で開業した時には何て楽な仕事だろうと思えたのも当然であろう。
「開業医は楽だぁ〜」と一時期思ったのであるけれどこれは結構甘かった。

真面目に一生懸命仕事をしていると、当然ながら患者さんが少しづつ増えてきてベッドは殆んどいつも満床、外来患者さんは120人程というくらいになり、全部一人で診ていたので深夜や早朝の救急往診や緊急の外来患者さんと・・・ほとんど年中無休状態で診療していたので、こんな生活をつづけていたら死んでしまうのではないかと20代の後半で思ったくらいである。
当時はポケットベルも携帯電話もなく、いちいち居場所を連絡しておかなければならず、その当時熊本市にオートバイで出て行って酒
を飲んでいたら地元大学出身の生意気な先輩医者に「お前はそれでも開業医か」とののしられたが、「多少ムカッ」と来たものの「ハイハイ」と受け流し、内心に生じた小さからぬ罪悪感に目隠しをしてひたすら深夜徘徊的遊びでストレス発散をしていた。

ついでにバスケットボールのクラブチームやトライアスロンをしたのも、今考えると健康上は良かったのかも知れない。
それでも大学勤務時代の奴隷労働からすると夢のような独身開業医生活であった。

そのウチ、ポケットベルという便利な文明の利器が手に入り、実のところこのちっぽけな機械にはずい分苦しめられたのであるが、耳障りな音が鳴った時に電話機を探すのに一苦労をして公衆電話を見つけても10円玉も100円玉もテレホンカードも無く、ついでに雨も降っていて・・・なんて最悪の状況に何度も出くわしたので、現在のように携帯電話で雨嵐の中におだやかなカーステレオのBGMの中、おだやかで静かな涼しい声で看護師さんに電話で指示するというような素晴らしい字体に進化し、当時の苦労からするとまさしく夢のようである。

時々、携帯電話を蛇蝎の如く忌み嫌うドクターもおられるが、それは大概通信機器の進化を経ないでそれを手にし、それに繋がっている感覚で仕事をなさっている方であろうと思える。

昔の苦労に比べたら天国のような状況なのにである。
代診のドクターでも見つかれば今や海外旅行だって行けるのだから・・・。

アメリカやヨーロッパで仕事の指示をするなんてザラにあったけれど、時々保健所の指導やお叱りを受けてからも大した事故も無くやって来れたのも何かしら大変な守護霊様かご先祖に守られているとしか思いようがない。
ありがたいことである。
医者の仕事は真面目にすれば無限に近く仕事があるので結構面白いのであるけれども、あんまり夢中に仕事にのめり込まないようにしている。

「絶対治してやるぞ」みたいな気負いは「絶対禁物」である。
事故の元である。
多くのニアミスは、この真面目過ぎる対応の時、一生懸命過ぎる治療態度の時に生じていた。
肩の力を抜いて軽くやるべきものなのだ。
これはスポーツの感覚に似ている。
何でもそうだ。
チカラが入り過ぎる、気負い過ぎることで良い結果が出た試しが無い。

どちらかというとクールに淡々と心境を意識して仕事をするようにしている。
まず自分が死なない為に。
そして患者さんの健康と生命の為に。

「努力遺伝の法則」である。
医者の仕事も生命あってのモノダネである

流行のワークシェアリングとも言えるし、チーム医療とも言える。
ナースやクラークや、他のドクターや他の医療機関と協力しながらバランス良く適当に仕事をするのがよろしいかと思う。
何でも手分けしてやればマチガイも少なくて済むし、手間も省ける。
第一効率が良い。
ただし、責任は全て医者にかかっている。
「全ての責任は自分にある」
この覚悟だけは持っておかなければならないのが開業医の仕事の重要なポイントである。
この責任を重く苦しいと感じる人は開業医に向かない。
この「責任」こそ生き甲斐であり、自らの存在価値であると楽しく気分良く受け入れられるドクターこそ開業医に適した人物であろうと思える。
所謂「大きな病院」の医師達も責任の重さは同じであろうけれど、どうしても看板を背負って仕事をしているワケではないので責任の分散化、つまり「みんなですれば怖くない」みたいな心のスキがありはしないかと余計な危惧をしてしまう時もある。

ありがとうございました
濱田朋久


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