コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 冬の朝2010.12. 8

学生時代によく聴いていたポール・モーリアというフランスのイージーリスニングのオーケストラの楽曲で「冬の朝」というのがあって、結構気に入っていた。

今朝はめずらしく、冬にしては早く目覚めてしまった。
何故かというに、不覚にも早く眠ってしまったからだ。

酒を飲み、睡眠薬も飲み、ついでにカラオケをバンバン歌ってスッキリした後、夜食まで摂ったのだから当たり前と言えば当たり前である。
こちらの冬の朝は霧が深く、晴天の日も午前中は曇天のように薄暗く、早朝の明々とした爽やかさはない。
けれども今朝は充分に睡眠を取った頭脳が冴え冴えとして、朝寝のできる鈍いトロケルような気だるさも無いので、妄想にも追憶にも適さず、テレビは観ないのでついつい本を読んでしまいコラムを書くことになってしまった。

早く仕事の時間になればと思うけれど、まだ3時間もある。
ヤレヤレ・・・。
仕事の準備をするのも好きであるが3時間とはいかにも長過ぎる。
早くスーツを着て白衣に着替え、コーヒーを飲みシャキッと朝の仕事を始めたくてウズウズするけれど、下手に病棟の回診でもすればビックリされるであろうし、妙に期待されても困るので、ここはじとっと読書するしかない。
朝に映画を観るのも何となく時間がモッタイナクテ出来ない。

話しは突拍子もなく変わるが、冬の夜の星空に「オリオン座」という星座があるらしいけれど、或る人に「それってストリップ劇場の名前か昔の映画館の名称に思えるネ・・・」と言ったら笑われてしまった。

筆者の感覚では「座」と言うと落語の高座とか演劇の場であって「星座」なんて思いもつかない。
冬の星空はプラネタリウムみたいに清らかに冷たく澄んでいて星々のキラメキもひときわ美しいけれど、ただ何となく観ているのが好きで、星座と言われる少し興醒めする感覚と、逆にロマンチックさを醸し出すイメージと両方あるような気がする。
話が朝から夜に振れてしまった。
スミマセン。

冬の朝には思い出も多い。
やはり小学校時代の登校の辛さだ。
当時は今よりずい分と寒く眠い。
当時、学校には暖房も無かったので、とにかく地獄のようであった。
ホントに自殺しようとくらいであるが、みんなでゾロゾロ文句も言わずに登校しているので、集団につられて仕方なく学校に向かうしかない。
何回か学校をさぼって霧が明けるまで街をウロついて、陽が照って来たら学校の土手の草原に寝そべって「日なたぼっこ」をしてしみじみとくつろいでいたら、或るお節介で「善良な市民のおじさん」の通報があって、あやしい子供だと警察と学校の先生に保護されてしまった。
親にも叱られて以来、サボルのも大変だとますます「学校に行くしかない」と肝を決めて死ぬ気で小学校を卒業(?)した。

中学からは寮生活だったけれどもやはり冬の朝は辛く、よく体温計を擦って「発熱」させ風邪のフリをして寮で寝ていたが、今度は外出もできず退屈で閉口した。
やっぱり「学校に行くしかない」とここでもあきらめた。

そして大学である。
これはもう思う存分不登校である。
代返(代理返事)やら、受講票のインチキやら脱走やらあらゆる手を尽くして授業や講義をサボった。

これも夏は良い。
海や山にクルマで出かけたり、電車に乗って東京に出かけたりしたが、これもすぐに飽きて家にこもってエロ本ばかり読んでいた。
何という自堕落な青春であったろう。
ガールフレンドも数人いたが遊んで楽しめるほど精神的に同調する相手に恵まれず、やはり独居して読書三昧である

まるで「ひきこもり」であるけれど、これを救ったのが「試験」である。
大学は医学部であるので、試験が連日連週あって、筆者のように夜更かし怠け者は朝早く起きて勉強しかない。
記憶の消失曲線で一度眠ってしまうと忘れてしまうので朝から勉強して記憶の新鮮に残っている間に試験を受けようというような浅ましい魂胆である。

それで何故「冬の朝」かというと進級試験というのは大概冬休み明けの正月から2月で、もしくは前年の12月頃が最もハードで、落第のリスクを精一杯回避するべく真暗な冬の早朝に起きてせっせと独り試験勉強した名残りと、試験直前の喫茶店でのコーヒーを飲みながらの最終チェックと、もう「冬の朝」ばかりが奇妙に心に残る少年時代、青春時代であった。

結局思い出としての「冬の朝」は記憶の海を探れば、割に思い出深く「楽しかった」と言えなくもない。

スティーブン・スピルバーグのアカデミー賞映画「シンドラーのリスト」もユダヤ人収容所の寒々とした冬の朝のシーンが印象的で、何となく親しみを憶えたのであるけれど、人間の生きる苦しみと勇気の象徴として「冬の朝」ほど適当なものはないと思える。

新聞配達、牛乳配達、病院、学校、役所、会社、あらゆる仕事の始まりは春や夏の朝ではなくて「冬の朝」のキリッとしまった緊張と苦しみとかが逆にそれを切り抜けた時の喜びが深い気がする。

筆者の場合、人生の始まりも「冬の朝」であったから(昭和28年12月3日生まれ57才)何とかかんとか仕事ができ生きている。
ありがたいことだ。

追記:学生時代に友人とおとずれた長野県の小都市でもやはり冬の朝ではなかったか。
洗面の時に窓から見えた山々との稜線と枕元に坐したトモダチの友人のタイトスカートの膝頭が妙に印象に残っている。
記憶がボンヤリしていてもそれだけは一生残っていく気がする。

ありがとうございました
濱田朋久


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