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■ お金の顔 | 2010.12. 6 |
モノを書くというのは、結構乱暴な作業と本にも書いてあったが、確かに読む人対するインパクトの大きさからすると話し言葉よりも重いようで、普段文字を読まない人にとっては只の紋様みたいなものとも思えるし、筆者の感覚ではその中間あたり、つまり「どうせ読まないだろう」とか「読んでも真意の分かる人はそんなにおらんだろう」みたいな、それこそいい加減で乱暴な気持ちで書いているので、あまり真剣に読まないように注意を喚起しておきます。 (これはモノを書く人間の卑しい予防線とも言えるが・・・) 先夜、或る人に誘われて新しい飲み屋さんに行ったのであるが、ママさんという人が昔から知っている女性(断わっておくけれども特に親しいとか肉体関係があるということはない)がカウンターの中にいて、相変わらず女優さんのような美しさであったけれども、表情のあちらこちら、特にその横顔とかにささやかながら微かな底意地の悪さとか貪欲さだとかが見え隠れして、やや醜くなったなぁという印象を持ったのでそのことを少し書いてみたい。 丁度40才であられたから、じょせいの美しさとしては2番目か1番目かのピークである年齢であるので、少しモッタイナイなぁと思えたのも、その心根が如実に表情に映し出され、そうして少しずつ顔そのものに時と共に深く刻まれていくものでもあるので、誰か注意する人いないかなぁ・・・と思ったけれども、別に他人事だし「まぁいいか」と思って観察していた。 どうも後で周囲の人々の風聞からすると、あまり芳しからぬ評判の女性となっておられた。 善意に考えると、あまり良い男と付き合っていないのではないかと余計な推察をしてしまった。 それこそ余計なお世話であるが・・・。 ひととおり時間が来て90分のセット料金制であるらしく、そのことを告げられて勘定を払った時に「そのこと」が何となく氷解したのであるけれども、それはその件の美女が「お金の顔」をしていたことに気づいたからである。 これは最近までTVに頻繁に露出していた、或る高名な占い師の女性とか、某有名野球選手あがりの有名監督夫人と共通した顔の表情で、それは特に口元と目つきに強い特徴を有する。 への字口で肉厚の唇で少し左右に歪みがあり、顎に力が入るというもので、顎のリキミは我欲の強さであり、歪みは悪口や陰口、愚痴が多いことを示すもので、肉厚の唇は欲望の強さを表している。 全体のバランスからすると、人間の欲望の象徴的な対象物である「お金」についての強い欲求を示すものである。 筆者の最も愛した過去の女性に、そういう表情に微塵もそのような陰影が見られなかったので、その強烈な印象はその女性のスコブルつきの美貌を拝見するにつけ、尚更インパクトを受けたという次第である。 その女性に最も似た表情の男性というのが、わが法人グループで巨額の不正事件をやらかし、民事も刑事も訴訟される寸前まで行っておられ、激しくそのことに抵抗を試みておられるけれども、結果は明らかであるのに一生懸命戦っておられる御仁に近々お会いした時の表情か、また全く同様なものであってとてもビックリしているというワケである。 そのペテン師然とした風体の男も、その夜の店の女性もひとことで表現するなら「お金の顔」ということになるが、物事すべて世間での活動の全てがお金が目的の人が結構おられて、最近はそのような視点を発見したので割に分かりやすい。 「行動の動機がお金以外に考えられない」状態で、周辺も本人もそれに気づいているのに何の羞恥心も持っておられないことに驚いてしまうのである。 それで人間として生きる甲斐があるのかと思えるのであるが、個人の価値観の問題であるので、とやかく言うつもりはないが、人生とか社会とか哲学とか思想とか何かしら高尚な考えを持たない人に多いように思える「お金の顔」の人々である。 日々の生活に追われてそういう顔になった人も時々見かけるが、それはやはり少数派で、どちらかというと或る程度何かしら溜め込んだ人にそういう表情と顔の人が多いように思える。 そんな顔になりたくないなぁ・・・と思うのであるけれど、最近は自分の表情が意識できるようになって「あ〜今は醜いだろうなぁ〜」とか「あっ、今チョットいい顔したかなぁ」と何となく自覚できる時があって、悪い時には主にお金の欲望で、良い時は愛とか死とか「与えたい」という欲求の時であり、意外に「悲しみ」の表情であったりする。 悲しみがなぜ美しく感じるかというと、それは愛の喪失であり、同時に愛の記憶の追想であり、愛という人間を求める欲求で、決して金銭ではないということであろう。 愛する人の為、例えば子供を育てるのに必死でお金を強く求めている人とか、病気の親を看る為にとか、マザー・テレサみたいに可哀そうな人々を救う為にお金を求める人にはこの表情は見られないようだ。 自分の欲望の満足の為に金銭を求める人とか、ただ無闇に無目的にお金を求める人々に、この「お金の顔」というあまり美しくない表情が表出されるようだ。 お金も大事だけど顔、つまり人生の痕跡はもっと大事だというのが筆者の感性である。 そうでない人を非難するつもりは毛頭ないけれど・・・。 人生それぞれであろうから。 ありがとうございました 濱田朋久 |