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■ 神との約束 | 2010.11.26 |
以前に少し売れた本で「神との対話」シリーズをもじって表題にしてみた。 所謂「ミッション・ステートメント」使命宣言みたいなものでもある。 56才にもなって初めて恥ずかしげもなくあらためて掲げてみようと思ったのは、この例文からずい分と勇気づけられたからでもある。 スティーブン・コヴィーという人の著書で「7つの習慣」の中の、或る経営幹部の個人的な「・・・ステートメント」が気に入ったので、そのままいただくことにした。 ドロボーかも知れない。 『私の使命は誠実に生きて人の役に立つことである』 『私はこの使命を達成するために、次のことを決心している』 @私は豊かな愛を持つ。 どういう状況におかれようとも個々人のニーズを理解し、その人を愛するように努める。 A私は犠牲を惜しまない。 この使命を達成するために自分の時間、才能、持っているすべてを捧げる用意がある。 B私は人に希望を与える。 人は皆、慈しみ深い神の子供であり、あらゆる試練は乗り越えられるということを私は模範となり周りの人々に教える。 C私はインパクトを与える。 行動することで周りの人々にインパクトを与える。 4番目は少し意味が分からんけど「行動しましょう」というくらいの気持ちで受け取っている。 付け加えるならば、この著者コヴィーさんによればその人の言動や行動よりもその人物の在り方、doingよりbeingに重きを置く、言いかえるならば「人格主義」こそ色々な小賢しいスキルやテクニックを越えた最高最良の成功の手段であると断じており、優れた人格を磨き育てましょう・・・というもので、筆者もこの論に大賛成である。 ミッション・ステートメントという言葉を初めて「耳にした」のは、ソフトバンクのCEO孫正義氏の29才の時の日本経営合理化協会での講演である。 当時、100億程の規模の社長であった孫氏も今や数兆円の会社に育てた大物創業経営者である。 大したものである。 このような「約束」は、会社(医療法人)を理念としてあるものの、その長である筆者個人には具体的に無かったというのは大変な落ち度と思って急ごしらえで拝借したワケである。 コヴィーさん、ごめんなさい。 約束を果たしますから許してネ。 36才の時に、日本創造教育研究所(田舞徳太郎社長)にいただいたとりあえずのステートメントもどきのものは以下である。 それは「私は愛を持っている人間です」というもので、恥ずかしながら「与える」が欠けている。 けれども「私は学びつづけ、与えつづける人間です」というサブミッションもあったりして、今までに充分満足していたのであるけれど、最近になってどうも具体性に欠ける感じだし、何となく自分に対して甘い感覚もあって今回思い切って他人のをパクってみた次第である。 所謂ミッション・ステートメントではないが、毎朝唱えている神道の祝詞(のりと)があって、これがステートメントと呼べるかも知れない。 その内容を少し披露してみると、『かけまくもかしこき天照大御神、産土(うぶすな)の大神達の大前を拝み奉りて、かしこみかしこみ申さく、大神達の広き篤き御恵をかたじけなきまつり、直き正しき真心を持ちて真の道にたがうことなく負い持つ技に励ましめたまい、家門(いえかど)高く、身健やかに世の為人の為に尽くさしめたまえとかしこみかしこみ申す〜』というものである。 現代風に訳してみると『神様の広く慈悲深い恵みをありがたく頂戴し、正直で誠実な真心で持って正しい道を踏み外すことなく、自らの使命である仕事の技術を練磨し、励み、家の品格を高く保ち、身体も健康で世の為人の為に尽くさせて下さいませ』となるので、コヴィーさんの著書の内容とあまり矛盾は無いけれども、祝詞の方がおごそかで神々しいものの西洋人のような「愛」とか「犠牲」とか「希望」とか「行動」とかの方が一般受けするし、より血についたもののように思える。 ・・・ので敢えて「神との約束」としてつけ加えてみた。 どのように我が人生が変化していくか楽しみである。 つけ加えるならば筆者は友人知人の間では「ドタキャン王」という有難い約束破りの名人と通っているので、果たして「神との約束」を果たせるかどうか見物である。 具体的には「神との約束」というのは「自分との約束」とも言えるので、実のところ友人知人は全く無関係とも言える。 それでも「窮屈」でないかわりに、より「厳格」な約束とも言えるかも知れない。 自分に嘘をつくのは極めて簡単であるけれども、真の自由もプライドも、真の自己愛も手に入らないので、真の「人格者」にもなれないし、真の「成功者」とも呼べない・・・と思える。 ありがとうございました 濱田朋久 |