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■ 「子は鎹」の嘘 | 2010.11.21 |
夫婦の絆の証として、子供の存在はとても大きく意味があるとしても近頃は表題に挙げた「子は鎹」になっていることも無いことはないと思えるが、最近ではむしろ「子は夫婦の破壊者」となっているケースも時々見られるようだ。 このことを少し検証してみよう。 最近の若い夫婦は簡単に離婚するが「離婚」ということそのものに「恥」であるとの感覚が世間一般に希薄になっているからであろうか。 中には少々自慢気にバツイチとかバツニーだとか平気で語る人が目立つようになった。 男女の相性が悪い場合も、良い場合も割りにスンナリ離婚になることも多く、やれ調停だ、やれ裁判だぁなどと騒ぎ立てない夫婦やカップルも結構多いのではないだろうか。 「慰謝料」だとか「養育費」とか「婚姻費用分担」とか「財産分与」とか離婚に関わる諸問題の殆んどすべてが「お金」であるのが、結婚というものの実態というか根底に流れる動機づけと思うと何だか悲しい。 どんなにキレイゴトを言っても、こと結婚については「愛」イコール「お金」、「ごめんなさい」イコール「お金」であるのだ。 人間社会の仕組みとして、そのようになっているのであろうけれど、このような事実は何となくヤリキレナイ思いを抱かせられる。 「子は鎹」との諺が今は昔であるのは、子供の為に「ガマン」をする夫婦が少なくなって来たとも言えるし、「ガマン」しなくても良い豊かな社会になっているとも言えるし、夫婦仲の悪い家族の中の子供がかえって辛い思いをする・・・というような考え方もあるのかも知れない。 15才か25才までの筆者の4人の子供ですら離婚そのものに全面的に否定的なわけはなく、スッキリ「離婚した方がいいんじゃない」など明言する娘までいたりして一昔前の家族のあり方からすると隔世の感がある。 筆者の両親はお互いに火だるまか夜叉のようになって激しい喧嘩をしていたから、子供の頃は不仲であると思っていたが、死後色々なエピソードや残されたメモなどを見ると「来世でも夫婦でありたい」みたいな言葉もあったりして、どうも深く愛し合っていたらしい様子がうかがえて、子供としては暖かく嬉しい気持ちが湧き上がる。 それでも筆者の幼少時には「こんなに毎晩喧嘩するくらいなら別れた方がいい」なんて思ったことがあったけれど、当時は貧しい時代で離婚というものが世間的にも経済的にもとても恐ろしい事態であることはウスウス理解していたようで、色々な意味で子供ながら生活とか将来の不安におびえる毎日であった。 けれども心の奥底では子供に対する無償の愛情について微塵の疑いも抱いたことはなく、子煩悩で酒乱の父親とその父に献身的に仕える母と非行少年の息子二人に苦労する父母とに数々の不幸への悔恨、暖かい養育への感謝を思わない日は無い。 ありがたいことである。 話がまたそれてしまったが「子供の為に夫婦関係をつづける」という大前提が完全に崩れてしまった今、この現代日本社会において子供の数とか性質にもよるが、どちらかというと子供、子供達か夫婦関係、夫婦の絆を破壊しているケースもかなり散見され、ここにその理由をいくつか列記してみたい。 @第1に破壊的子供の存在というのがある。 これはモチロン本人のせいではなく、存在自体が破壊的であるケースがあると断言しておきたい。 逆に、真に「子は鎹」になっているケースもあり、もともと相性のあわなかったカップルがその子供の出生によって「仲良し」になっていることもある。 そのような夫婦の場合、子供が成長して家を出るとまた不仲になって関係が冷え切ってしまうということもあるようだ。 A第2に妻の愛情を子供が独占してしまい、夫が孤独感の為に仕事や趣味や「ヨソのオン ナ」に走ったりするケースもある。 このような場合には修復の余地は充分にあって、妻に子供よりも夫を強く深く愛すること、受け入れることをお勧めするが、相性によってはうまくいかないこともある。 これはまさしく「子は鎹」の嘘の典型である。 理屈の上では夫婦関係の溝を子供が拡げているということになるからだ。 B第3に子供による経済的負担の増大というものもある。 これは逆に作用することもあって豊かになると別れやすい夫婦が子供の為に貧しくなって、かえって絆が深まるという場合であるが、これは夫婦の共通の目的が「子育て」を第1にするカップルに限られるし、さらに夫婦の相性が極めてよろしい場合にのみ最近の経済事情や社会情勢や文化を考えると「子供は負担である」と考える夫婦もあり、結構ムツカシイ問題であるようだ。 この経済的側面に限った夫婦関係を見ていくと、子供より破壊的なのは意外にも家、つまり「マイホーム」であったりする。 住宅産業は景気循環の最大の消費財であるけれど、若い夫婦が「マイホーム」を持ったばかりに子供も夫婦関係もおかしくなってしまった例も多く、相性の悪いカップルの場合、多分に差し出がましい進言であるが、家を購入することを差し控えるように勧めることである。 筆者も含め「家」でおかしくなったカップルは多く、夫婦の危機の危険因子のリスク管理として、家を子供と姑、舅の存在には用心用心したいものだ。 家族の幸福のシンボルである家や子供が逆に不幸の元になっているというものも皮肉なことである。 現代の一般家庭にも昔と全くちがう家族風景が見られて、1950年代、60年代、70年代の家族のやや熱っぽい有様とは異なるものであるとの認識を持たれた方がよろしいかと考えている。 モチロン異論もあろうけれど・・・。 家や子供の姑舅で家族という社会の最小単位集団が何となくうまくまとまっている場合も数多くあるであろうから・・・。 しかしながら結論を述べるなら、この集団には誰か一人、もしくは数人かの激しく強く我慢している人がいる、もしくは強力なリーダーシップのある人物が必ずいる筈である。 そうしてその家族の集団には犠牲者もかなり多いと見ている。 それを助けるとか救済するのも我らが心療内科医もしくは精神科医のドクターやナースのひとつの責務ではないかと考えている。 ご参考までに。 ありがとうございました 濱田朋久 |