コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 「甘えの研究」2010.11. 7

人間には生来的に、本来的に他の動物のくらべて強く「依存欲求」というのがあって、これはその人間の生育上仕方のないことで、人間は時に一生涯この欲求に苦しめられる。

充分過ぎるほどで尚且つ適切適宜な依存欲求が満たされぬまま年齢的だけ成長してしまった「オトナ」は時々異常な程、人やモノやこの世界に存在するあらゆるものや事柄に依存する。
上記のように充分な依存欲満足をもって育てられた人間というのは多分少数派であろうので、しみじみと人間の活動を観察してみると、人類みな「甘えん坊」と言い切ってもおかしくない・・・と考えられる。
人間社会における理想の関係性である。

親子の愛、家族の保護からの自立を経て「相互依存」というのが人間としての成熟のステップであるから、依存そのものを否定しているワケではないが、成熟したオトナとしての自立を経ないで得られたとてもあいまいで脆弱な「相互依存」は結果的に双方の共倒れに至るか一方の依存と他方の被依存とのバランスが崩れると一気に人間関係がもろくも崩壊してしまう事が多いようだ。

最近の離婚劇も殆どこの依存のあり方、もっと言えばそのバランスの悪さに起因しているように見える。

昔、或るNHKの元アナウンサーだった人のコメントが妙に印象に残っていた。
「夫婦がうまくいくには甘えたり甘えられたりが大体五分五分、フィフティーフィフティーがよろしく、それぞれの好みの度合にもよるが絶妙にバランスしている時にその夫婦関係は円満である・・・」とあった。

これを読んだのはまだ独身時代であったので「そんなもんかなぁ」「チョット気恥ずかしいなぁ」と思っていたが、2回も結婚し、いくらかの女性関係を何度か経験するウチにそのコメントがまさしく男女関係の正鵠を得ているように今は思える。
「甘えるな!」とか「甘える」という言葉はうつ病の人には「頑張れ」と同じくらいに禁句であるが、この病気の人々にはこの適切で正常な依存欲求が満たされなかった人が殆んどで、ついでに虐待や無視やレイプやいじめ体験もあったりするけれど、意外なことに美人や美男子が多かったりするから不思議である。

この事実はよく分析してみると不思議でも何でもないのであるが、紙面の都合上このカラクリの詳細については次の機会に譲ろうと思う。
子どもは全て幼い時、母親に甘えたい。
甘えなければ生きてイケナイのが子供というものの本態である。
この字義のとおり、母親への依存はコンデンスミルクか蜂蜜かソフトクリームのようにウットリするほど甘くトロけるようにせつなく悩ましい。

その依存欲求が思いどおりに手に入らないと、深い孤独と寂寥と自己憐憫と虚無とか心の奥底に残され心淋しくて「ひきこもる」か何かしら別の事柄へ依存する。
それは直接的、短絡的には性的行為が最も手っ取り早い。
たとえばマスターベーションとか実際の恋愛とかである。
あるいは酒とかギャンブルとかお金とか宝物とか、クルマとか趣味とか、名声とか名誉とか地位とか人々の称賛とか言葉としては美しく昇華などと言って社会的に価値の高い芸術とか文化とか偉大な事業とボランティアとかになるのかも知れないが、つきつめればこれらも幼児期の依存欲求の欲求不満の反動ではないかと思えなくもない。

筆者の考えすぎ、思いちがいであろうか。

表面的にはともかく人間の心を深くつきつめていくと、みんな同じ欲求に帰結されるように思える。
それぞれに求めるモノや事柄、価値観はちがっても究極的には人々が求めているものは「愛」なのではないかと思える。
みんな愛が欲しいのだ。
愛されたいのだ。
愛したいのだ。
そして思う存分甘えたいのだ。
聖母マリアのような女性に男も女も甘えたいのだ。
女性であればキリストのような、もしくは甘く大きな緑陰をつくり、人々を涼やかな心地良く心からの安心へと導く大木のような父性豊かな人物に思い切り甘えたいのだ。

こういう理論を知っていると異性にモテたいと男女の取る選択はただひとつ、充分にカッコヨクさり気なく甘えさせてくれる男(女)になれば良い・・・ということになる。
「甘え」についての欲求は人間の場合、こと程左様に激しいのである。
自覚していない人もいるかも知れないが・・・。

人類全体をこの際じっくり眺めまわして欲しい。
家族、宗教、国家、スポーツ、芸能、映画、薬物、娯楽、趣味、家族、家庭、恋愛、ゲーム、アルコール・・・世の中は「甘え」の代償に満ち満ちているではないか・・・。
これから真の意味で脱却することは難しい。
少なくとも世俗的に表面的に生きている人々にとっては・・・。
ここで思い浮かぶのがお釈迦様の遺言である。

「おのれこそおのれのよるべ、おのれをすきて何によるべぞ。
よく調えられしおのれこそまこと得がたきよるべをぞ得ん」

「自分に頼らずして何に頼るんだ。
よく充分に調整された自分自身こそ最高の甘え(依存)の対象じゃないか」というワケである。

人間の依存心、それも他者に依存しようとする人々への誠に示唆に満ちた言葉ではないか。
言い換えるならば「自分以外には頼るな・・・とも取れることばである。

仏教的に言うと自己依存、」さらにすすんで健康的な相互依存、これこそがより良き実り豊かで煩悶、苦悩、余計な依存や甘えのない人生を送る秘法である・・・と。

そうかも知れんけど、やっぱり僕は正直甘えたい。
マリア様のように慈しみ深く優しくて、ついでにマリリン・モンローのようなセクシーな女性に。
思い切り甘えて、そのトロけるように甘く暖かい心とカラダに身も心も埋めて泣いてみたい・・・と思うけれど・・・実現せんだろうなぁ・・・。
恐らく・・・。
淋しいあるネ・・・。

ありがとうございました
濱田 朋久


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