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■ 母性愛と癒やし | 2010.10.20 |
マザーコンプレックスというと、男としては何だか恥ずかしい響きがあって、特に独身男性に限らずこの名称を授かった男性は大概女性の軽蔑の対象になることが多いようだ。 確かに彼女や恋人や配偶者よりもお母さんを大切にするその意見を尊重するというようなステロタイプなイメージは、今の韓国や昔の日本やイタリア(何とマザコンがとても多いお国だそうである)、東洋では儒教思想に基づいているようにも見えて一見美しいが、嫁いで来た女性や恋人にとっては少し「情けない男」という印象を与えられるのはこの代表的な「マザコン」という言葉でもある。 時々は夫婦や男女の愛よりも親子の絆の方が若干強い人々もいて、最近は慎重にこの話を進めるのであるが、全く自覚の無い強烈で典型的なマザコンの男性にひどく長く責め立てられヒドイ目にあったことがありこの問題については相手を見て注意深く慎重に話をするようにしている。 人類に限らず殆どの生物、特に哺乳動物はメスである母親から生まれその乳を吸い育つ。 であるなら当然全ての哺乳動物は基本的に広義な意味でマザコンであるにちがいない。 養育者である母というのは子供にとって絶対の存在である筈なのである。 その上人間の場合、完成した成熟した「大人」になるまで相当の時間がかるワケであるから何かの手違いで母子関係に傷がついてしまった場合、とんでもないことになる・・・のではないだろうか。 たとえば母親の死亡、離婚や浮気や駆け落ちなどによる離別。 冷たい母親、暴力的な母親、忙しくて子供にかまえない母親などなど、子供の心のトラウマを引き起こすであろう出来事をデリケートに細かく拾い上げればとてつもなく心理的に複雑な母子関係が生じ、これに父親や祖父母や兄弟や赤の他人、近所のオバさんオジさんなども絡んで来て母親に対する一種独特で非常にユニークで複雑なことが予想される。 「人類みなマザコン」と言い切っても良いのではないだろうかと思える。 その「マザコン」心理の程度や表現においてそれが一般の女性にとってやや幼稚で自立的でなく、好もしくなく自分にとって不都合である場合に本来侮蔑的に呼称される「マザコン男」なのであって、本当はつきつめれば老若男女すべてマザコンというのが基本であり、殆どの人々は何となくそのことを了解しているように思える。 世界中どこでも母の存在は偉大であるのだ。 太平洋戦争時の特攻隊員も「天皇陛下万歳」という国家から命令されたかけ声と同時に「お母さ〜ん」と呼んで敵艦に突っ込んでいたのだ。 先日或る知人の勧めで「プライド」というタイトルのフジテレビ政策のドラマをDVDで観た。 アイスホッケーのスター選手、木村拓哉扮する「ハル」と竹内結子演じるOL「アキ」のラブロマンスを中心にアイスホッケーという男の激しいスポーツを通じて「仲間との友情」「恋」「親子の情愛」「ケガ」「死」などさまざまな人間模様が軽快でオシャレな会話で描かれていてナカナカ見応えがあった。 このドラマのメインテーマはやはり男女のロマンスなのであるが、明瞭白々にそこには母親への思慕とあきらめと憎しみと軽蔑と愛と、とにかく複雑な感情を、つまりキムタクの「マザーコンプレックス」がベースとしてキッチリ表現してあるところが臨床心理的にたずさわる医者としては大変参考になったというか興味深かった。 物語は少し素朴で古いタイプ、つまりまじめでいずれは母親になるということをキチンと覚悟している貞節な女性「アキ」を竹内結子が可憐に、また美しく演じていて「古き良き時代」の女性を求める木村拓哉「ハル」が強烈に惹かれて行き、本当に愛し合うというのが物語である。 「ハル」の母親は幼少時に男と出奔しており、言わば母親に捨てられたというトラウマを抱いている設定であるので益々興味深い。 女性を心から愛することも女性から愛されることも拒絶し、表面的なゲームのような恋しかできないでいるところを竹内結子「アキ」に心を開き、女性を「愛すること」女性に「愛されること」を初体験し、最終的に愛と幸福とついでに仕事(ホッケーというスポーツ)での成功も得るスポコンサクセスラブロマンスストーリーである 頑なに心を閉ざしているということについては明らかに見に憶えがある、その上その心理的な嫌悪と深い信頼との入り混じった複雑な感情を抱いている自覚があり、主人公の心象に共感できた次第である。 感動的なシーンをひとつ、 自分を捨てた母親(松坂慶子)がハルに会いに来て、目的はお金の無心であったのであるが恋人であった竹内結子(アキ)が母親への失望を隠そうと200万円を自分の貯金からハルの母親にコッソリ渡した・・・ことをハルが知り、あらためて初めてついに自分の部屋にアキを誘い男と女の関係に至るのである。 ここのところのやりとりが特に印象的であった。 ハルの部屋に入るなり アキ「何か私怖くなったヮ、女でいることが」 ハル「何もしないヨ」 アキ「いつか結婚して母親になる。特に男の子母親になる。ずーっと心に刻んでいくのが」 ハル「大袈裟に考えなくていいんじゃない」 アキ「ハル、誰かに泣き言言ったことがある」「幼稚園の時から・・・誰でもいいの」「いつも強がって頑張ってるハルはカッコイイなぁと思うけど・・・、ネェ・・・ハルだって、ハルだって」 アキがハルの手をさすりながら「かわいそうなハル」「きっと男の子はここで泣き言聞いてもらう練習するのに・・・」「ハルにはそれができなかったのネ」 アキがハルの髪を撫で、頭を抱きながら「私がハルのママだったらいつも聞いてあげたのに・・・」「そしてあなたを悲しませるありとあらゆるものからあなたを守ってあげたのに・・・」「片時も目を離さずに・・・」 ハルの両目から流れるような涙。 ハル「アキってアキれる程いい女だネ」・・・。 涙の男女の抱擁と接吻。 誰でも特別な女性になれるのだ。 母親のトラウマを持った男なら心を閉ざされたマザコンかも知れない。 父親にトラウマを持った女性なら心を閉ざされたファザコンかも知れない。 それらの凍った心を溶かすのは全てを受け入れた母親のようなこまやかな愛、おおらかで大木のような父親の愛なのではないだろうか」 男女共幼い子供と見なして自らは母となり父となり接することが長く深く愛し合う男女の究極のコツなのではないだろうか。 男はマザコン+ファザコン 女もマザコン+ファザコン この程度やカタチはさまざまでもその根本的な心理的構造は太古の昔から永遠不変なのではないだろうか・・・と考えている。 ありがとうございました 濱田朋久 |