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■ 悲しき天使 | 2010. 9.10 |
大森一樹監督で、高岡早紀、岸部一徳、筒井道隆を配して撮られた割に新しい邦画のタイトル。 1960年代にヒットしたメリー・ホプキンの同名の歌が主題歌になっている。 脚本も大森監督になっているが、ベースは松本清張の「張り込み」である。 かつて野村芳太郎監督、大木実、高峰秀子主演で製作された同名タイトルの刑事モノサスペンス映画と設定が同じである。 映画の出来不出来はともかく「悲しき天使」は作品としては「張り込み」にその面白さについては軍配を上げたいが、大森監督の作品も結構ややテレビドラマ風ではあるがそれなりに緊迫感も情感も盛り上げてくれる。 女性犯人がこれまた若い女性刑事に抱きしめられながらさめざめと涙を流すラストシーンにはしみじみと泣かせてくれる。 物語は両作品とも「昔の恋人に会いに行くと予測される殺人犯」を二人組の東京の刑事が九州まで出張し犯人の「昔の恋人」を「張り込む」という設定で、そういう細かな作業をしながら刑事たちがだんだんと犯人とその周囲の人々や家族へ少しずつ感情移入していくもので、張り込まれる側と張り込む側の微妙な心の応酬が「張り込み」よりは「悲しき天使」の方がより濃密になっている。 つまり、主演の独身の女性刑事が殺人犯の女性経営者と昔の恋人の家族や自らの父親の増悪や逆に周囲の言わば血縁でない人々の思いやりや優しさなど人間の暖かい行動などの複雑な感情の動きを、丹念に描いてあって、筆者としてはまずますの秀作と思えた。 というより好みの映画となっている。 ヒロインの女性刑事が言うならば「悲しき天使」となって犯人に共鳴共感し、実際には「逮捕」ではあっても「抱きしめた」ワケであるからそこには奇妙な感動があり、これは「張り込み」という作品にも多少織り込められているが、表現としては女性同士による共感なので母娘の関係に似ているような印象を受けた。 この作品を観た後からメリー・ホプキンの「悲しき天使」が胸の奥に残り、メロディーと詩を心の中で奏で筆者を慰め癒やしてくれている。 それが単なる懐かしさなのか、物語への共感なのか、人間の保護されたい(逮捕されたい)、言い換えるならば「愛されたい」欲求への心の共感なのかよく分からない。 結局一週間程毎晩観る羽目になってしまった。 トホホ・・・。 考えてみると犯罪者を心を病んだ弱い人と仮定するならば、警察とか刑務所というところはそれらの人々を捕えたり閉じ込めたり、集団行動をさせたり、保護し厳しく教育したり矯正したりして、言い換えるならば「愛する」ことで弱者救済をしている立派な国家組織ではないかとも思える 見方を変えるならば警察そのものもまた「悲しき天使」なのだ。 恐らく・・・。 ありがとうございました 濱田朋久 |