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■ 楽天家の秘密 | 2010. 7.19 |
生まれつきの楽天的性格というものが存在するらしいとは思うけれど、筆者について周囲の人々から「明るい楽天家」という評価を得ているけれども内心では少しく反発を感じながら筆をすべらせている。 もともと子供の時からどちらかというと暗い性格で悲観的人生観の持ち主で「何とかなるさ」とか「まぁいいか」などという言葉で表現されるような多少ノーテンキで楽天的な人生態度は主に成人してから10年から20年の間に知識や個人的経験によって獲得・学習されたものと自分では考えている。 決して生まれつきの「楽天家」では無いのである。 何かの自己啓発本から得た知識で「悲観的なバカより楽天的なバカ」の方が「シアワセなバカ」であるという一文が心に残り、どうも真面目で一生懸命頑張っている人間よりもその程度にもよるが多分にいい加減でエゴイスティックで軽薄な人間の方が結果的に良好な人生を得ていることを学生時代に発見し、書物でも確認してしかるのちに「楽天家」への道をコツコツ真面目に努力して勝ち得て来たというのが我が半生の実態であろうと考えている。 私立の進学校でまぁまぁの学業成績を残し、或る事件によってそこを退学になり一時期グレてチンピラコジキみたいな宿無生活を送った時期があり、将来の希望も現実生活の貧窮を約1年あまり経験したことがあるので、それにくらべたら今の身分と生活はまるで夢のようであるので多少の金銭喪失や激しい誹謗中傷などの人間関係における不快適や経営上の危機など何でもない。 ましてや小さなロケットに乗せられて宇宙に打ち上げられたライカ犬とか内戦状態の某国で逮捕監禁されて爪を剥がされるような拷問されたり、重大なケガで半身不随になったり、悪性の病気で死にかけているワケでもなく、キレイなおベベを着て優雅に高級車を乗りまわし、時にはオートバイに乗ったりバスケットボールに興じたり、自分のお金でBARに酒を飲みに行ったり・・・とまるで天国のような生活をしている上に、とりあえずドロボーとかヤクザとかポン引きとかの世間的には少し外聞のはばかられるような恥ずかしい仕事でもなく割にまっとうな仕事をいただいているので、これで不平や不満や愚痴など言ったりしたらバチが当たる・・・筈である。 欲張りにならず、満足することを知り全てに感謝をしながら周囲の人々に優しさや愛をまき散らしながら生きているとさらにシアワセな気分がしてくる。 「どうでも良いじゃないか、そんなこと」 てな調子になってくるのはこんな風な思考の産物なのであって、自然的に発生した楽天的気分ではないのである。 もっと抽象的には自分だけの為に生きようとせず、全体の為世界人類の為に生きようとする気概を持つとさらに幸福感と楽天感が増してくるが、この理由は実に簡単で時間的にも空間的にも大きく長く考えれば自分というものが世界の一部としてしか存在しえず、さらにまた世界の一部であり全体でひとつであるということへの自覚と感覚こそ成功と幸福への早道でもあるのであるけれども、このことに気づいている人は少ない。 また「自分さえ幸福なら良い」という考え方こそ不幸の元となるものであることを理解し気づいている人も少ない。 例をあげるならたとえば病気やひきこもりなどで家族のメンバーが不調であれば、当然その負担は自分にのしかかってくる。 この場合、幸福な人はそれを助けようと必死になるか、もしくはそれを気にかけ何とか援助するであろうし、その行為を自らの喜びとする・・・筈である。 ごく単純に考えても自分の住む地元の経済が破綻してしまったら、自分の勤めや商売もやっていけないのである。 国家や世界の繁栄や平和も自分の個人の幸福の一大要件であるのに、近頃はそれらに無頓着な人が多く、不幸な個人主義、つまり自分さえ幸福で豊かなならば良いと考えている人もいたりして、これは弱肉強食の世界では確かに通用し猛威をふるうワケであるけれども、心の平安というものはというてい得られない。 つまり幸福でも楽天的でもないということになる。 「自分の心配」ばかりしなければならないという意味で・・・。 多少の自己犠牲的精神は楽天性の隠し味であるが、それでもあまりに犠牲的であってはならない。 「どっちでも良いじゃないか」 「まぁいいか」 「何とかなるさ」 とかの言葉は楽天的性格を創り上げるのに結構イケてる常套句であるので、脱力・リラックスとか同時に身につけられると押しも押されぬ立派な「楽天家」になれることを保証します・・・。 なんて言い切ってみました。 「もともと元は何も無かったんだから」 「最終的にはすべて無になるんだから」 これがひとつのKeywordだからであるけれども、時間の感覚と歴史とか世界的とかに長く伸ばし空間感覚も宇宙的にしておく必要があるかも知れない。 ありがとうございました 濱田朋久 |