コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 東京物語2010. 6.29

この表題は昔から書きたかったテーマである。
殆んどすべての日本人の心の内にある、憧れと嫌悪と複雑に入り混じった、或る特別な郷愁を呼び起こす「東京」「物語」であろう。

名匠小津安二郎監督の世界的名作として名高い映画作品のタイトルでもある。
家族・親子・都会・田舎・子供・死と生・汽車(SL)などなど、どこを取り上げても興味の尽きることの無い映画である。
56才にして4〜5回目の鑑賞であったが、今回が最も感動してしまい観終わった後大粒の落涙を禁じ得なかった。
物語は広島県の尾道に住まう年老いた老夫婦が東京の息子や娘に会いに行くというだけの誠に他愛のない退屈なものであるけれど、さすがに名匠、泣かせる名場面が後半部分の随所に見られて。

5人の子供がいて長男は開業医者コウイチ、次男は戦死し未亡人のノリコさんがまだ東京で独り住まい。
長女は小さな美容室を経営しながら人に嫁いでいる。
三男は国鉄に勤め大阪に住まい、小学校に勤める末子である次女と3人で田舎の尾道で暮らしているという設定である。
終戦後まもない昭和20年代の日本の、割に幸福な家族の典型像を見ることができる。

ヒロインはモチロン我らが日本人の永遠のマドンナ原節子である。
フィリピンで敗戦後も29年間も帝国軍人としてジャングルを生き延びた小野田寛郎少尉をして好きな映画女優は誰ですかと聞かれ、「原節子」と即答せしめただけある。
心根も仕草も顔も美しく誰もが妻としたいと思うような健気な日本女性を好演していて確かに傑作である。
ひょっとして小津監督は彼女の女性美を撮る為に製作した映画なのかも知れない。

小津監督のオンナだったという説もあり、それはそれでいっこうに構わないけれども、娘役の杉村春子が感情的でエゴイスティックな好もしくない女性として対比させられていて気の毒であったけれども演技そのものは杉村さんに軍配が上がる。
素晴らしいものであった。
流石、名女優の面目躍如。

原節子演じるノリコさんは戦争で死んだショージさんの遺影を8年間も飾り、東京で一人OLとしてつつましく暮らしているところに突然やって来た亡夫の両親を他の実息子、実娘よりはるかに暖かく、優しくモテなし、その自己犠牲的な心をさらに美しく観せるシーンが織り込められていていたく感動させられる。

実のところこれは当然なことであるけれども親子より他人の方がより親密に情愛深くなれるというのはとても自然なことで、そもそも夫婦というものがもとは他人である上にお嫁さんとかお婿さんとかも他人であるので、逆に親密になれる可能性が大きいのだ。
度々先述しているように親子や兄弟は成長すると一緒にお風呂にも入れず、抱擁はともかくくちづけすらはばかられるが、真っ赤な他人であればこれはもう愛の行為など至れり尽くせりである。

であるからもっとも血縁の遠い原節子さん(ノリコさん)が真の意味での「義理」の両親に対して、ついに「義理堅い」のは誠にもって当然のことであるのだ。
それを美しく描く監督の妙手というものも褒め称えるべきであろうが、このあたりの真理や心理というものを描いたということで、この作品を世界の傑作としてその名望を押し上げているのではないだろうか。
つまり親子の愛や家族愛の不確かさと同時に隣人愛の普遍的美しさを描いてあるという意味で・・・。

原節子さん演じるノリコさんがアパートの隣人にお酒やトックリを借りるシーンがあったりして、その辺の他人愛の細やかなやりとりを見事に表現している。
東京は地方の人々の集まりで成り立っている。
都会への人口集中は当時でも強烈であったのだ。

地方から多くの労働力が都会へ集まり、老いた両親は田舎で待つという日本の典型的な構図は今でも少しも変わらない。
これは世界中どこへ行っても見られる工業国と呼ばれる国々の実相であろう。
とてもロマンチックで美しい響きの「東京物語」も少し分析的に鑑賞すれば、何のことはないただの家族物語となる・・・ので或る意味天下の芸術作品を台無しにする所作かもしれないと思いつつ、ついつい筆をすべらせてしまった。
オソマツ。
ありがとうございました
濱田朋久



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