コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 太宰治2010. 5.20

有名な作家で、言うならば奇人変人である。
酒飲みで放蕩家でムチャクチャな私生活を誇る「無頼派」作家の一人でもある。
少年時代に読んだ「走れメロス」以外には心に残る作品が全く無かったのだけれども、先日気まぐれに選んだレンタルビデオの「ヴィヨンの妻」という太宰治原作の作品を観たところ妙に好奇心が湧いて原作を読んだところ案外面白く不思議なおかしみと陰気とミックスされた独特の世界に少しくハマってしまった。

皮肉と厭世気分と自己破壊衝動と絶望と好色と、希死念慮と家族や家庭への親しみと嫌悪と孤独とそれらが入り混じったフクザツな感情に何となく心の波長が合ってしまい、とうとう次々と文庫版の「太宰治」を買って読みふけっている自分に驚いている次第である。

最も忌避して来た作家であるのは、陽々と元気溌剌であると思っていた筆者の心の底に潜む「太宰治」的心をあらためて発見し、それにワザワザ自らの波長を合わせようとしている暗い気分の慰め手としての小説とは抜群の存在であるなぁと感心しきりである。
丁度悲しい心持ちの時に聴く悲しい音楽のように心の波長を合わせながらキッチリと生かしてくれようと意図しているような、意外にも勇気の出る小説であるかも知れない。

際立った良妻を持ち小説家としての人気や地位を獲得しながらも、経済的にも肉体的にも精神的にもドンドン自分を追いつめて破壊的な方向に突進させようとするやむにやまれぬ意志を感じる。
地獄のような気分で酒場に入りびたり、酒やタバコをしたたかに飲み、金を蕩尽しつくす生き方は破滅型人生の典型であると同時に戦前戦後の時代の或る側面を表現しているのかも知れない。
今の健康志向、アンチエイジング志向の真逆の生き方であるけれども、それに逆に魅了される人々からは絶対的な共感を寄せられる作家の一人である

「人間は生きたい」・・・と同時に「死にたい」という欲求を持っているというのは筆者の持論でもあるが、そうでなければこんな小説が長らく読まれるワケがない・・・と思う。

自己保存と自己破壊は実は同じものなのかも知れない。
生命の誕生と死の相関の深奥を示すパラドックスの典型でもある。

例えばSEXは自己保存(種族保存)と同時に自己破壊(自分の精を燃やしている)である。
モチロンSEXが不健康と言っていいワケではないけれど、性そのものの中に生命の自己破壊性が秘められていると思われるのだ。
貝原益軒の「養生訓」などを読むより、我らが「太宰治」を読むほうがはるかに生きるのに気分が楽になる。
生きようともがかなくても良いのだ。
「投げやり」という気楽な生き方への誘惑も感じる。

それは「死のうとして生きている」のと「生きようとして生きている」の差だけとも考えられるが、一方は「流されている」「人生の結論」を求めているという意味で性急あるけれどその分気楽でもあるのに「生きようとして生きる」というのが或る意味で「抵抗」であるのに他ならないと思えるからである。

抵抗は疲れる。
何せチカラがいる。
そのチカラを出すのが人生と言われたらそうかも知れないけれど、何かしらの浅ましさ、後ろめたさ、含羞というものを感じて生きなければならないような気がして逆に悲しい。

死のうとして生きる
恥ずかしそうに生きる
世の中の普通の習慣を皮肉に斜めに見て、一種の醒めた視線で眺めていたのが太宰治という人で、その意味の解らぬ三度目の情死をやり遂げて人々に、自らの作品に強烈なインパクトを与えたという意味でやはり稀有な作家とあらためて思える。
「桜桃碑」とか称して太宰をたたえる人々が後を絶たないが、そもそも桜と桃の共通点は木に咲く花であると同時に、薄桃色の匂やかな色気とさっと散ってしまうはかなさとの両方を兼ねた太宰さんにいかにも不似合いなようでピッタリとハマっている・・・という気がする。

ありがとうございました
濱田朋久

追記@
・・・とは言え、職業柄自分の使命からみても彼の人の不健康きわまりない生き方の真似事は出来ず、内面にいくら共感できても実際の生活行動は真逆の明朗で楽天的で生命力に満ちあふれた楽しい人生を生きねばなるまい・・・と考えている。
ここはキッチリと抵抗しようと考えている。
そもそも人間の意志というものはそのように使うべきものかも知れない。
誘惑的で楽な方向へは進まず、イバラの道に見える黄金の道は少しく抵抗があるものなのである。

追記A
太宰治と筆者は奇しくも筆者と同じ星であった。
道理で共感が深い魅惑的な作品ではある。
・・・けれども東大仏文科中退のこの大作家にはそれらを知っていたならば、もしかして自然にしていたら死に至る命を少なくとも個人的には幸福で楽しい人生を生き得たかも知れない。
ご本人には悪いが多くの犯罪者などと同じく「反面教師」としての価値はあるかも知れない。
筆者の同級生で同じくイヤに女にモテるアル中のハンサムな友人とよく似ていて、この男も太宰氏と同じく40才前後で夭逝してしまった。



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