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■ 日本人よ。 | 2010. 5.19 |
何故かヨーロッパの農業大国、工業大国、軍事大国のフランスの首都、花の都パリには計4回も行っているが、ただの安いパックツアー旅行でそれ程パリ市内を知悉しているワケではないけれども、理由のない愛着もあったりしている。 先日「のだめカンタービレ」という邦画でヨーロッパ、それもパリを住まいとしている音楽学生の生活ぶりと若者らしいファッションと心意気と恋心の微妙さを上手に描いてあって、日本人の撮るパリも六本木や青山や代官山よりも田舎臭く、やや平凡な街並みに見えた。 あのエッフェル塔でさえ横浜のマリンタワーとか東京タワーとかよりも陳腐で通俗でありきたりに思えたくらいである。 どうもアメリカ人や日本人の撮るパリはどこかしら「おのぼりさん的」で牧歌的ですらある。 面白かった。 ヨーロッパの美しい古都に日本のゴチャゴチャとした猥雑な生活スタイルをそのまま持ち込んで、パリを東京化しているのが昔の映画のように妙にかぶれてなくて逆に痛快ではあった。 流石のパリの都もまるで日本の地方都市のように撮ってあって、そもそもパリ市内というのは比較的狭いエリアに限られていて、確か東京の山の手線の中にスッポリ入るくらいのサイズと聞いている。 筆者の想起するパリのイメージはいつも暗く重々しく、湿っぽく古びていて辛気臭い。 歴史の重みという意味でもフランス革命とか第一次、第二次世界大戦の血生臭いドロドロとした雰囲気の街で重く垂れこめた灰色の雲と濡れた舗道とアラン・ドロンの渋面のように陰鬱な匂いをたたえて心の中に存在している。 実際にフランス人の映画で描くパリの人々は、薄汚れた地味な服とキタナイ車とあまりおいしそうでない食事と何だか眉間にシワを寄せたやかましそうなたくましい老女と、また対照的に小柄で可憐な少女達とこれまた地味な衣服と風貌の青年達とチョットだけ渋い中年男達というイメージで、男についてのイギリスの紳士達にそのセンスとイデタチについては殆んど負けてしまう。 日本のファッション雑誌ではイタリア人が人気らしいが、実際にイタリア人の男性にカッコイイひとはあまり見かけず、イギリス人の方がはるかにカッコイイ。 しかしながらヨーロッパに留学した男女の何人かに聴いてみると、ヨーロッパ人というのはそれ程美しくもカッコヨクもないそうで、やはり外国に行くと韓国人の男性が結構素敵であるらしい。 日本人も何だかそのチャラチャラとしたファッションと細すぎる貧弱な肉体と病的な姿勢と歩き方さえなおせば充分韓国人並みになると思えるが、今の日本人の若者を観察する限りそのようなカッコイイ人はあまり見かけない。 とにかく日本人的にはどこかしら緊張感がない。 みんなフヌケのような奇妙な脱力感と無力感が漂っている。 春の連休中にフランス産のスパイサスペンス、ポリスアクションとたてつづけに観賞したが、例の調子で濡れた道路とキタナイどうでも良いクルマと地味で全くファッショナブルでない服装とかすみがかかったように薄暗く重苦しいパリ市内の映像を観ると、フランス人のイメージするこの都市の雰囲気の方が筆者のそれに近い。 つまり日本人の撮るパリよりもフランス人の撮るパリの方がよりパリらしいということになる。 世界の巨匠北野武の映画も主にヨーロッパで人気があるらしい。 その暴力性と殺風景さとその暗欝さにあるのではないだろうか。 恐らくフランス人の子育て法というのは、北野武の母親のように異様に子供に厳しく愛情深く、また冷たい・・・というようなものと想像される。 概してヨーロッパのご婦人というのは都市部に行く程険しい表情が目立ち異様に老けていて眉間のシワが深い。 日本の田舎に広く生棲する仏様のような美しく若々しく和やかな表情の高齢女性は少ないようだ。 筆者の考えでは、都市というのは建築する設計するのは男性としても住まうのは子供であり女性であるので、その都市の醸し出すムードというのは、主にそこに住む女性がつくり出すものではないかと思う。 こういうヨーロッパ映画とハリウッド映画と日本映画を見較べると、その空気と光と匂いみたいなものは画面に滲み出るが、そこには自然なそれらと人工的なそれらがあり、ことパリを例にとるならそれは混合されたものであり、イメージであり、実際のものでもあり、外国旅行で知る面白さというのはその落着の確認であろうと思われる。 日本人の若者で溢れ返ったイタリアなどに行くと、そこはテーマパーク的な古都でおのぼりさん的芸術都市で、日本人はどこに行っても日本人で、最近は特にそこに溶け込もうとするよりイヤに堂々と日本人しているのを見ていると江戸時代後期にチョンマゲで少しの含羞も無く闊歩したかつての日本人とよく共通していると思える。 明治維新より敗戦後の日本人に多く見受けられた外国人コンプレックスは表面的には殆んど取れてしまったかのようだ。 世界中に定着した日本文化への自信がそうさせたのであろう。 アニメ、カラオケ、ゲーム(ニンテンドー)、スシ、ネタキリ、ネマワシ、カイゼン等々の日本語は世界共通語だそうだ。 日本はかつてのフジヤマ、ゲイシャから殆んどいつのまにか脱却しているかに見える。 今春から放映されているNHK大河ドラマ「龍馬伝」にも見られるように、日本人としての自覚と誇りが少しくよみがえって来ているのかも知れない。 悪い傾向ではないと思える。 ありがとうございました 濱田朋久 |