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■ 奇跡 | 2010. 5.15 |
平成22年4月18日の日曜日は忘れ難い一日となった。 その日は月1回、恒例のロードバイクツーリング。 晴天、気温13℃。 最高のツーリング日和だ。 午前8時の集合場所、いつものレンタルビデオ屋の駐車場で待っていると、集まったメンバーも10人そこそこで何故かいつもより少ない。 ついでにツーリングのリーダーであるバイク屋のオヤジも愛車のスポーツバイクが結局エンジン始動せず遅刻。 ロードツーリングには殆ど似合わないレトロ調の単車で現れた。 何だか少し悪い予感がする。 気分があまり乗らないまま出発したものの30分もしない午前9時5分事故は起こった。 仲間の中でバイクの腕はピカイチ、スキンヘッドのカリスマライダーの駆る古いネイキッドバイクと、これまた飛ばし屋で高速コーナーを得意とする若者のレーサーバイクが集団を抜けてカッ飛ばして行ったのを皮切りに次々とそれらを追って晴れ渡った春の朝のワインディングロードをビッグバイクが走り抜けて行く。 筆者のバイクは丁度3番手。 懸命に先頭を追うがこの腕では殆んど追いつくのは当然無理とあきらめつつも、ややスピードを高めにコーナーを攻めていると、或る見通しの悪い急カーブ。 左コーナーを抜けるのにセンターラインをオーバーしそうになり、禁じ手のコーナー途中のブレーキングをしたところ、すぐ後ろに追尾していたバイクが突然対向車線に転倒して、正面から走ってきた小型車のフロントバンパーに倒れたバイクから放り出されたライダーだけ頭から突っ込んでしまった。 左コーナーでセンターラインオーバーした転倒バイク、正面からのクルマ。 みんなが仲間の即死を予測し青ざめた。 揺り起しても意識が無い。 微動だにしないカラダ。 ヘルメットは車のフロントバンパーの下に突っ込んだまま。 クルマを運転していた女性ドライバーも自分に全く落ち度が無いものの動顚している・・・。 ところが声をかけつづけているとモゾモゾとカラダが動く。 ヘルメットをそっと頭から抜いてやると静かに開眼した。 「どうした?何?」 これが転倒事故のライダー、57才の男の第一声であった。 事故前後の記憶が全くないらしい。 よくあることだ。 筆者の若い頃のバイク事故も意識が一定期間不明だったことがあるが、バイクの乗り始めだけ記憶にあり、後はすべて忘れている。 今でも思い出せない。 「気づいたら病院のベッド」という按配である。 件の仲間も完全に意識が戻り、立って歩けるようになりお決まりの警察の現場検証も救急車も軽傷が明らかになり、何となくおざなりで周囲の風景も一気に呑気な春の朝の田舎道に戻ってしまった。 ヤレヤレ。 筆者だけ現場に残り警察の現場検証につき合わされ、免許証の不携帯を責められスピードを出すなと年下の警官に叱られ、ソロソロとバイクを操り慎重に帰路につき仲間を病院に見舞い、派出所に行って免許再交付の用紙をもらい、家で二度寝をして夕方飯を食って初めて我に返り「これはもしかして奇跡かも知れない」ありがたい、ありがたい。 誰も大したケガもせず静かな日曜日をあらためて過ごせるのも守護霊・守護神のお陰であると・・・。 殆んどクルマやバイクを運転している人々は気づいていないであろうけれど、もしかして私達は奇跡的に生かされているのかも知れない。 先述した事故を例にあげるなら、もし正面から走ってきたクルマがスピードを出したスポーツカーならもしかしてすぐには止まれないし、大型トラックなら。 もしかして見かけによらずガードレールに突っ込んでいたなら。 もしかして転倒せずに正面衝突したなら。 もしかしてヘルメットが頭から抜けていたら・・・数えたらキリがない。 この偶然という魔者の所業が私達に味方をせず、或る処断をして不幸にして天に召されたなら・・・。 もしかして大きな後遺症を残す大事故にならされたら・・・。 いつもいつも感謝で生きているべきなのかも知れない。 少なくとも現代のクルマ社会を生きて行く上では私達もそう考えていた方が無事無難であるにちがいない。 自殺者より少ないとは言え年間の交通事故の死者というのは死因の第5位くらいで、今すぐそこにある死の少なくない原因ではあるのだ。 中でもオートバイによる事故は、今でも他の交通機関の危険度よりはるかに高いものであるのだ。 日常の作業・ルーチンワークをしながらそういうことを考えた一日であった。 易のとおりに土用の始まりはやはり荒れますなぁ・・・。 用心、用心。 ありがとうございました 濱田朋久 |