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■ ナイトライダー | 2010. 5.14 |
昼間に時間が取れないということもあって、オートバイには夜乗ることが多い。 今年は正月から2月・3月と寒い時期には、週1〜2回は独りで2〜3時間はこの鉄製の二輪自動車にまたがった。 冒険とは危険を冒すという意味だろうか。 どうもこの冒険というものがいたく好きらしく、冬の0℃〜3℃の空気の湿って冷たい日にオートバイに乗るのはバカではないかと思えるけれども、空腹と寒さと夜の田舎道を走る恐怖と戦いながら一心に目的地を進むサマは端から見たら一体どんな奇妙な人物に映るのであろうか・・・。 いずれにしても良識のある60歳前の立派な男の選択する行動ではないと知りつつ、この悪習慣は止められそうもない。 ヘルメットのフロントシールを丹念に磨き、虫や汚れを落とし、キズを確認し透明度を高め、厚い冬用の手袋と防寒装備のバイクブーツと風を通さないフェイクレザーのジャケットとパンツでカチカチに身を固めイザ出発。 濃紺の山に向かってバイクをシズシズと転がす。 山奥の田舎町の宿命で、目的地を50Km以上遠くに置くと必ずトンネルか川か山越えか、それらの複合したどちらかと言うと危険ながら冒険的な行路を選ばざるを得ず、この変化に富んだ道を走るという喜びもこの悪習慣の繰り返しに一役を買っており、「イージーライダー」のように炎天下の砂漠の平坦直線路をひたすらまっすぐ走るのとはワケが違って、退屈するということは絶対ないもののチョット油断すると転倒・転落・激突・ガス欠・脱輪・故障と色々なトラブルを覚悟しなければならない。 外気の冷たさも飢えも疲労もそれらの緊張感が消し去ってくれて、目的地に着いた時には手先はしびれて感覚がなく、歯はガチガチとなりながらもこの一連の作業のひとつひとつが懐かしく思えるほど少しく冒険的(?)であったことにバイクジャケットのまま居酒屋やレストランや宿屋のロビーにくつろいで座った時に感じさせられる。 「ただ生きている」だけで嬉しいとか有難いとかいう喜ばしい実感を得るのにこれだけの刺激を要するのかと思うと多少情けない心持もするが、何事も手法とか手続きには各個人の好みというものがあり、筆者の場合には最近残念ながらこんなことしか今のところ無い。 大金を賭してするギャンブルの緊張とか、酒やタバコやSEXで自分を傷めつけるのもこのバイク乗りの感覚と同じものなのではないだろうか。 今夜は天空に煌々と満月がまるで田舎の一本道を照らす巨大な外灯のように眩しい光を放ち、星を隠し昔の西部劇の人工的な夜を思わせて美しくも懐かしい。 フランス人監督フランソワ・トリュフォーが撮った「アメリカの夜」は昼間に撮影した映像に青暗色のフィルターをかけて「夜」をつくり出しているらしいが、虫の声と重ねて観ると全く違和感が無いし、とても美しい。 近頃の映画では森や山での夜の撮影では存在しえない明るい光があらぬ方向から明々と照らされていてリアリティーが無いばかりか、夜に実際に撮影されたには違いないであろうが美しさと観やすさにおいて「昔の西部劇の夜」にはるかに劣っていると思うがいかがであろうか。 話はそれたが、そんな風な美しく明るい青々とした空気の夜を走り抜けていると、天地の間に我一人みたいな恍惚とした一種爽快な気分に思う存分浸れて最高のナイトツーリングであった。 これだからやめられない。 ナイトツーリングの喜びはこちらの九州地方では雪や雨が無ければ年中楽しめるので有難い。 どうでも良い話でした。 オソマツ。 ありがとうございました。 濱田朋久 |