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■ 法律というものについて | 2010. 4.22 |
筆者はモチロン只の医者であるから、法律については全くの素人である。 大学の法科を出たワケでもなく、六法全書とかあらためて法律のことを勉強した者でもないが、近々にこの法律というものを知らなかった為に生じたさまざまの仕事上や生活上のトラブルに昨年より悩まされつづけられたので、ここに法律というものに対して考えたとりとめのない雑考を記してみたい。 人間という生き物に対して社会的には性善説という立場と性悪説という立場があるが、東洋思想では性善説は孔子・孟子などの儒家があり、韓非子などの法家は性悪説と考えられている。 兵法で有名な孫子などもどちらかというと性悪説に近いようだ。 老子や荘子などの道家は根本的に性善説であるが、立場としては善悪を超越した第三の立場であると思える。 このように東洋思想の見地から見ると法律というものは、その名のとおり法家のもので性悪説の立場に立つようである。 つまり人間は油断するとすぐに悪に染まってしまう傾きがあるので、「法」というもので一定の頸木をつけて人間たちを縛っておこうということであろう。 社会的な秩序を保つ為の決まり事の明文化されたものが法ということになる。 明文化というくらいで殆んど全て文章にされていることが多いので、多くの法律家や法に携わる人々は文字とか文言とか文章とか言いまわしとか、印鑑とかサインとかに異様な程こだわって何となく一般人としては実態よりも人間の意志や意図より紙に書かれたものが優先されるという奇妙な感覚を抱いてしまうのである。 普通の生活では、何だただの紙切れじゃないか、というモノが私文書であれ公文書であれ、それがかなりの効力と不気味なチカラを持つことを知って唖然とさせられたというワケである。 契約書とか合意書とか借用書とか印鑑やサインをついた書類に殆んどの人は法律的には厳しく縛られているが、普通の生活ではそれは感じられにくく、また生身の人間よりも紙キレの方が「偉い」とまで感じてしまうのが法律というものに接したことのある一般庶民の正直な感覚ではないだろうか。 だから法律にたずさわる人々は書類や、それに書かれた文言や文字に異常な程の執着とこだわり見せるのを傍からみているとても異様である。 時々はそれらに無頓着に見える法律家もおられるが、これはそれらに対する馴れとポーズではないだろうか。 これは医者の世界でも言えることで、何かの医療ミスや事故が発生した場合カルテやデータやラク書きのようなメモですらカキ集められ、分析され、検討され法的責任を追及されることがママあるようである。 今は大学病院から一般病院や介護施設までこの書類作業に追われることが多くなっているが、法律に基づいて仕事が行われるのでさらにこのことに拍車がかかっている。 筆者の医療介護施設でも人々は油断するとすぐに書類書きやカルテ書きや、とにかく患者さんや病める人を看ないで書き物ばかりしている傾きがある。 大学病院などのナースステーションなどを夕方のぞいてみると、大の医者が何人も集まって一心にカルテやパソコンに向かって何かしら書いているので、何かしらとても不気味な印象を持ってしまう。 18世紀の政治家タレイランの言葉で「言葉は思うところを偽るために人間に与えられた」というものがある。 論法を少しまげてみても「言葉は嘘をつく」「言葉は文字にして紙に書いたものが法律では優先される」「法とは紙に書かれた嘘を守る為のモノ」という風に性善説的に捉えることのできるし、法とは「性悪説に基づいた人間社会の秩序維持の為の文言が系統的に累積されたもの」と捉えることもできる。 「法は三章のみ」という大英断を下し、複雑化され混乱し、腐敗した世の中を平安に導いた中国の名帝もいる。 法三章とは盗み、殺人、放火は犯罪ですヨという類の単純で解りやすい法だけを残し、後は民のそれぞれの良識にまかせたというもので、これは性善説そのものとは言えなくても、それぞれの人間性の本質を善なるものと大胆に割り切ってなされた統治者の興味深い民衆の統治法と思える。 複雑で理解しにくい法律ほど善用よりも悪用されやすいと筆者は見ているがいかがであろうか。 良識的に見て「おかしい」と思える法律が山ほどあって、いつも一般の善良な民衆は苦しめられるが、これは悪いことをする人が多いということの結果であると思える。 禁酒法と同様、民意や憧憬を無視した法律など失くしてしまった方が世の中はうまくおさまるのではないかと思える。 世の中は法律と悪人との格闘であるかに見えるが、多くの善良で良識のある人々は殆んど法の外にいて、やすらかに暮らしているように見える。 筆者の感覚では法に触れないことも大事であるが、法を扱わないのも幸せで愛のある暮らしには大切ではなかろうかと思える。 法律はピストルやナイフのようなものである。 それを持ち歩くと殺される危険が高まると同様に、法律も素人が無造作に所持し扱っていると危険な目に合う・・・ということを覚悟するべきであろう。 ありがとうございました 濱田朋久 |