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■ 風立ちぬ、いざ生きめやも | 2010. 4.15 |
堀辰雄の名作小説「風立ちぬ」の中で引用されているポール・バレリーの詩文の一節である。 この小説の概略は、当時は不治の病であった結核の療養所、つまりサナトリウムでの若い夫婦の繊細で甘やかな男女のやりとりを描いたものであるが、特に深い感興を呼び覚ますものではないけれど哀調を帯びた文章と美しい風景描写が負の明るさと秋冬の暗さをみずみずしい生と枯れて行く人間の死への暗い足取りの落差を上手に表現してあってやはり傑作小説と言えるであろう。 導入部は村上春樹のベストセラー小説「ノルウェーの森」にも少し趣きが似ているような気がする。 人生を描くには陰と陽、明と暗、生と死のように対極した対比を用いずにはいられないのであろうか。 毎日楽しく生きている。 そしてその底には悲しい死が潜んでいる・・・と言った具合に・・・。 最近は毎日死を思わない日はない。 それを望んでいるワケではないけれど、ついそれを意識してしまう。 生を実感しようとすればする程、死を思ってしまうのだ。 2〜3年前に流行した「千の風になって」という歌の詞も。この「風立ちぬ」に倣っている気がする。 毎朝の墓参りの時には必ず暑い日も寒い日も風が起こり、筆者の頬や首すじを優しく撫でるのを感じる。 そしてそれはいつもとても気持ち良い。 「まだ生きていいよ」 そんな風に「風」に励まされている感触がある。 まさに「風立ちぬ、いざ生きめやも」だ。 今は四月半ば。 すっかり花を落とし、まばらな緑色の葉をまとった幾分みすぼらしい桜の樹も青葉茂れる薫風の五月に向けて静かに待機しているようだ。 風 。 それは帆船を海原に押し進め、人間や貨物を載せた金属製の翼のついた長筒を空に浮かべ、鳥を蝶を飛ばせるだけでなく人を生かすものでもあるらしい。 涼やかな風は甘酸っぱい悲しみをいっぱい含みながら人々の心に染みわたり、生きる意欲のようなものを発揚させるものなのかも知れない。 それが草原をわたる風でも、都会のビルを通り抜ける風でも、森や林をざわめかせる風でも、女性のスカートをはためかせる風でも・・・。 夜風にあたりホロ酔いの頬を冷やしながらベランダから夜の街を眺めていると、涙が眼に滲んでくる。 いつものことだ。 ウィスキーを入れたグラスの氷が音を立てて、まるで風鈴のような優しい音をチリンと一鳴らしする。 夜の音が地上から群青の空へ湧き上がろうとするが、黒灰色の雲におおわれた重そうな天幕はそれらをすべて吸い取ってしまうように見える。 地球上のはるか上空を高速で流れる偏西風も人類を生かす為に一生懸命吹いているのだ・・・もしかして・・・。 ありがとうございました 濱田朋久 |