コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ EARTH2010. 2.27

松本人志という有名タレントの言葉であるそうな。
「最初のEはEden(大地)最後のHはHeaven(天国)中間のARTはモチロン芸術、そして人間の技術であると」

ナカナカ素晴らしい発想であるなぁと感じたのであるけれど、これは東洋思想の中にもあるもので天と地の間に人(芸術・アート)があってこの世界が成り立っているという考え方は世界共通のものである。
そもそも地球というのは人間の芸術的感性、技術で天国になり得るものなのだ。
今話題の映画AVATARも実はここのところを表現している筈なのに、浅く「解釈」した人は現実の地球のこの混乱と貧困と飢餓にあふれたこの地獄絵図のような世界、はたまた日常のありふれて平凡で退屈で何の面白味もない生活をAVATARの中の他の天体(星)での夢のような世界をひきくらべて、落ち込んでうつ病になって自殺までする人まで出ているというような報道を見て一言付け加えておきたくて筆を走らせている。

この映画を観た人なら解ると思うが、人間から見るとAVATARという仮の姿を借りて「他人種」ナヴィとなって「夢の中で」遊ぶという設定に気づかれたと思うが、実は人生の中でこの「夢の世界」というものは日常的に絶対的に個人個人がそれぞれに持っておかなくてはならず、決して現実の世界に内的な世界を犯させてはイケナイ、流されてはイケナイものなのだ・・・と考えている

つまり内的世界(精神性、霊性)と外的世界(現実と人々が呼ぶもの全般、環境全般)とを区別し、人生というものはこの両方を生きているものであると明瞭に意識しておくことが「生きる術」として大切である・・・ということをお伝えしたいのだ。

そして内的世界(たとえばAVATARの世界)の方を外的世界(たとえば現実の人間の世界)よりも常に優先させなければならないのだ
この映画の足の悪い主人公のように・・・

生きるのが苦しい人々の場合、殆ど常に広々として豊かな内面世界を持っておらず、その精神生活には想像力の著しい欠如が見られ、日常の諸事全般について細事大事を問わずすべからく一喜一憂し、煩悶し、もだえ苦しむことが多いようだ・・・。
かくいう筆者とて決して例外ではない。

それではどのようにしてこの地球を天国、パラダイスにいるかという問いかけが生じるけれども、冒頭書いたようにやはり芸術が一番手っ取り早いと思える。
音楽や絵画や文学や詩文や映画などすべて人間の生み出す芸術と呼ぶべき精神的な慰めは生きる苦憂をひとときの愉悦に変え、それそのものの芸術的生活をして精神的豊穣さへと導く最良最大の人工的な資源であり、これらを提供してくれるARTISTたちで人類は大いに強くいつも慰められているのだ。
数々の過去の芸術や哲学などの人文学的な遺産と現代の生活を彩るさまざまの活動の中にそれ(芸術性)を実に多く見い出すことができる。

我々人間が今最も危惧すべきはそれら芸術や科学技術の存在そのものではなく、それらに対して持つ自らの感受性、受容性、精神性の貧困であろう・・・と思える。
その個人の豊かな内面生活はそれだけでもその人物がいかなる苦境や困難に遭遇させられていようと「負けざる魂」インビクタスとなって自らを栄光のみちへと導いてくれるにちがいない。

同時に公開されている映画INVICTUS(クリント・イーストウッド監督)で引用されているウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩文を掲げてみたい。

「私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
どんな神であれ感謝する
我が負けざる魂(インビクタス)に

無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流そうと決して頭は垂れない

激しい怒りと涙の彼方には
恐ろしい死だけが迫る
だが、長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない

門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと

『私が我が運命の支配者
 我が魂の指揮官なのだ』」

この言葉を胸に壮年期の27年間を獄舎につながれても希望を失わず、生きて南アフリカ大統領となりノーベル平和賞を得たその人こそネルソン・マンデラである。

彼の豊かで広大な内面世界がこの詩からうかがえるのではないだろうか。
わずか2.5m四方の独房の中で27年間を過ごし、気も狂わず復讐鬼にならず偉大な指導者として混乱と不安におののく国家を調和と友愛へ導いた勇気と知性というものが胸をうつ。
私たちをこの広大無辺な心の世界、内面世界へ旅立たせ思い切り遊ばせてみるのも人生の妙薬かも知れない。

人類の絆というものはあくまで精神の問題、内面の問題、心の世界で最初に生まれるのではないだろうか。

かつてテレビの衛星放送で著名な指揮者、小澤征爾はそのタクトでドイツの郊外の野外音楽堂において数千人の聴衆たちをその素晴らしい音楽で魅了し、人間の深い絆の喜びを高らかに謳い上げ、合唱させたシーンを思い出す。

そのひとときには恐らく瞬間的にこの地上が天国となったのだ。

まさしくEARTHとなった感動のワンシーンであった。

「芸術は天から降りてくる」
誰の言葉かは憶えていないが真実であるにちがいない。

ありがとうございました
濱田朋久



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