コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 難民の時代2010. 2.26

世界中には難民と呼ばれる、住むところを失くした人々が数100万人規模でおられるらしい。
国の内外で分けられ、幸か不幸か国境を越えられなかった難民を国内難民と言うらしい。

昔から難民と言えばパレスチナ難民が最初に頭に浮かぶように、数も400万人以上と最も多い。
次いでアフガニスタン、イラク、コンゴ、スーダン、ソマリアとアフリカの戦争地帯、それも最貧国がつづく。
アジアではセイロン、ヴェトナム、トルコと数え上げたらキリがない。
南米のコロンビアも国内難民は300万人と強烈に多い。
チェ・ゲバラが死ぬまで戦った国として有名だが、いまだに左翼ゲリラと政府軍と麻薬騒動とそのロマンチックな国名の割には歌謡曲とも映画とも関係なく何となくいつまでも落ち着かない国だ。

昔は外国の軍隊が攻めて来て難民が出るというパターンが多かったが、最近は独立運動とか資源争いとか民族紛争とか宗教上の対立とか冷戦時代のようなイデオロギーによる争いは減少し、もっと生々しくもドロドロとした経済的・愛憎的人間の欲望と感情(憎しみと復讐の連鎖)による争いが多いようだ。

旧ユーゴスラビアはチトー大統領がとりあえず複数の民族をざらっとまとめていけたが、今や民族紛争というものの典型的な悲惨さを剥き出しで診ることのできる地域である。

所謂「内戦」というものであるが、そもそも人間というものは近しい親しい者同士ほど共通の敵とか強力な外敵が去ってしまうと争いあうものであるらしい。

昔の日本には殆どの人々に「貧しさ」という外敵か「身分の差」という外敵か、実際の外国との戦争という外敵との闘いがあって家族も地域住民もとりあえずまとまっていたが、今や国も人々も豊かになり、家庭にも国家にも争いの種は尽きない。
家庭難民という人々がしみじみと存在しているかも知れない。
それは「ひきこもり」とか「被虐待児」とか表現される可哀そうな人々だけでなく、精神的にも経済的にもやさしく受け入れてもらえない人々・・・も難民と呼べるかも知れない。

ネットカフェ難民とか介護難民という言葉もある。
平和天国、我が日本国にも立派な難民と呼ばれる人種がひそやかに棲息しているのだ。

それでもどこかの国のようにチョット何か政治的なこと、宗教的なことを口走っただけでいきなり逮捕されたり拉致されて拷問されたり処刑されたりする危険はあまりないので、考えてみればシアワセな国である。
生活上の安全はとりあえず保障されている人が殆どである。
ありがたいことだ。

日本にも戦国時代は内戦の時代であったので、当時には大量の難民がいた筈であるが、実態は不明である。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という偉大な人物らにより日本国はあらためて統一された国家となり、天皇を天上人としていただいて幕藩体制という優れた中央集権国家を築いた。
これもまた有難いことである。

お隣の中国や韓国は歴史的には結構悲惨な道を歩かされている。
明治維新の頃の中国は清朝という満州人の築いた統一国家であったが、国は弱体化しておりアヘン戦争でイギリスにやられ、ついでに日清戦争で日本にもやられ、欧米諸国に好きなように蹂躙されて誠に気の毒な状態であったので、毛沢東とか蒋介石とかの偉人により中華民国(台湾)と中華人民共和国(中国)の2つの国家ができあがった。

筆者の中国人の友人によれば、中国人は国の分裂とかを物凄く恐れているそうで、それは長い中国の歴史で群雄割拠の時代には戦争につぐ戦争で中国全土には難民であふれかえっていたということである。
まさに難民先進国超大国であったのだ。
中国人には旧ソ連の崩壊とか旧ユーゴスラビアの分裂というような状態が恐ろしくてタマラナイのである。

内戦も外戦も含め人間は何故こんなにも争いが好きなのであろうか。

もともと人間は狩猟民族であった時期があり、野生の動物を獲って食べるという習慣があり、昔から日本人でさえも魚や鳥は食べていた歴史がある。
それが農耕を覚え農耕民族となっていったが、人間の進化上に獲得された「生き物を殺して食う」ということに快楽を感じる為に攻撃的欲望が残されたのであろう。

モチロンこの欲望は気に入った異性を獲得する為に同性の、主にオス同士の戦いの為、メスは子供を守る為にも必要とされる本能的欲望であるので、人を攻撃するという欲望は世界中に存在する人類にあまねく備わった快楽をともなった欲求にちがいない。

それでも自然界の中で同種の動物で殺し合うのは人間だけらしく、或る意味とても悲しいことである。

神様は人間に愛の心を宿らせると共に、それに伴う憎しみという感情をあたえたもうたのだ。
そうして分け与えるという美しい人道的行為と同時に奪い取る、溜め込むという醜い行為も人間に備えさせた。
そうして国家も分裂と統一を繰り返しながら文明文化を築き上げていったのである。

その過程でどうしても争いというものが必要であったのだ・・・多分。

愛と平和の美名のもと相変わらず人間たちはそのエゴを美しい意識で隠すことが出来ずに金銭と権力と、イデオロギーと宗教と、家族愛と隣人愛と、生の欲望とそれらの混成されたドロドロの極めて人間臭い衝動の為に結果的に人々の住むところを奪い、気の毒な国の内外をさまよい助けを求めながら漂流している。

所謂難民ではないがこれからまたあらたな経済戦争の犠牲になり、失業とかホームレスとかの厳しい生活を強いられる人々がしばらくは増加していく気配があるようだ。
自らが難民とならないようにしていきたいが、まずは健康であるし業を大切にすることであるし、家族や同僚や部下や上司や会社や地域や国家や隣人を大事にしていくことであろう。
そして付け加えるならば自らがなしている業の本質をよく見きわめ、常に精進を重ね、精神をいつも平和でやすらかな調和のとれた、できれば高尚なものにしておくことであろうと思える。

ありがとうございました
濱田朋久



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