コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 光と癒やし2010. 2.26

晴れた夜、クルマを降りる時には大概夜空を見上げて星を見る。
一度とて同じ星空に出会ったことがない。
物凄くありがたいことにこちらは九州の山奥の田舎町であるので結構綺麗な星々のきらめきをしみじみと眺めることができる。

昔ネパールというインドの北部、ヒマラヤ山脈に南からへばりついたような貧しい小さな国に或るボランティア団体のお手伝いで行った時に、首都カトマンズよりもっと山間部の奥地の村にバスと徒歩で登り、全く灯というもののないその鬱蒼とした森の中にある小さなた棚畑から見た冬の夜の星々には圧倒され驚嘆し、或る種の深い感動を憶えたものだ。

その宝石箱を黒いビロード布にぶちまけたような濃暗色の天幕を満たす無数の光の粒子のさんざめきは神々の熱視線のようでもあり、それこそ悠久の大宇宙に精緻に計算されて散りばめられた宝石そのもののようでもあった。

思うに何でこんなに美しい星空を誰もあまり眺めようとしないのであろうか。
或る本によると、最も長命な人の職業にクラシックの音楽家とならんで天文学者というデータがあって、星を観察することに何らかの宇宙の善なるエネルギーを人体の中の眼球によって獲得しているのではないかと考えられている。

みんなテレビとか見てないでコートとマフラーでもはおったり巻きつけたりして晴天の夜には星空でも眺めたらかなり健康増進に良いのではないだろうか。
こちらの地元の田舎町での標高はせいぜい数百メートルであるので、標高数千メートルのネパール国のように深い闇のような漆黒の夜空ではなく、それは薄青の浅く柔らかい空である。

それでも星々のきらめきは結構な光芒を私達の目の中に放ち、何らかの癒しを与えてくれそうである。

今は経済的な背景により人々は都会へ、大都会へと集まっているそうである。
今や経済大国とも言えるお隣中国の上海や北京、韓国のソウルやインドのムンバイなどは東京よりも人々の多いマンモス大都会だそうであるから、それらの国々では星空など望むべくもないであろう。
その替わりに雲を突き破り天空高くそびえ林立した高層のマンションに住まって、一見は星空と見まがうような光を地上から放つ夜景というものを求めるのであろう。
人間というものは光の粒々が余程好きなのであろう。
或る長者番付の常連であるS氏によれば「光り物」を身につければ確実にお金の運が良くなるそうである。
何となくうなずける感じがする。

ちなみに観光という言葉は国の光を観るという意味だそうである。

人間に限らず動物の目は本能的に光を求める。
闇の中に長くいた人ほど光を求めるものにちがいない。
光り物を身につけることは人々に何らかの愛と癒やしを与えることになるのではないだろうか。
宝石は星空と同じく人々の目の中に光りを与えて癒やしてくれるものなのかも知れない。

星空、宝石、観光、夜景、貴金属などの装飾品、そして人間の目、それらの輝きに満ちた「光り物」には確かに癒やしの効果があるにちがいない。

優しい輝きを帯びた目と光り物とがまるで星空を見上げる人間の目と星の関係のように自然にお互いを癒やし合うものなのかも知れない。
それは人間の声や暖かい言葉や美しい笑顔と同じように・・・。

ありがとうございました
濱田朋久



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