コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

[戻る]
■ 春雷2010. 2.11

冬の終りの土用も過ぎて、暦の上ではもう春だ。夕方から再び降り始めた暖かい雨に深夜の11時をまわる頃から、ドーンという激しい轟音とともに青白い光が明滅して、夜露に包まれた、中春の温泉町を激しく約1時間あまり間欠的に揺らしづつけた。
室内の明かりを消して、薄桃色に濡れそぼる、夜の雨を、照らす、大自然のおごそかな光の祭典をウットリと静かに見入った。
それは丁度夏の花火大会のように2月にしては、生暖かい大気を、心地よく、刺激して、生死別を問わず去って行った親しい人々が、陽気に背中をドンドンと叩いてくれるような奇妙な快感を憶える。

「春雷」耳障りの良い響きの言葉だ。
試験を終えて、最もくつろげる2月の中旬に入る。少年時代からの長い長い学びの徒としての生活を最終章に医師国家試験という最後の難関を通り抜けた時には、当落が少し気になるものの、あらゆる荷物を放り出して、草原に寝そべった時のような、素晴らしい開放感を感じたのも、この春雷の、夜だったように思い出す。

今年は大学の同窓会発足30周年だそうである。卆業当時に歌った歌を、カラオケで唱じ、酒を飲み往時を懐しんだ。

こうして、幾度となく無意識のウチに全身で聴いている筈の、この春雷の音も感じている筈の光も、自分の未熟さを相変わらず、誰かに叱られているようにも感じる。

少しも成長していない自分。
ただ老いただけのガキのような自分。

ひたすら情けない・・・という感情が数々の喪失の痛みとなって心の底から、まるで船酔いの吐き気のように湧き上がる。

雨の夜に、いつものようにこれが起こる。父親の死を筆頭に親しい人々の死にも決まってその葬送の夜には、必ず雨が降る。不思議なことにそれは至極当たり前のように。

そして、この自然の音と光の響宴は、これらの悲しみの記憶をありありと呼び覚まし、甘やかな死へと誘うようである。

イヤ、待てよ。ヒョッとしたら、悲しい雨を、新しい誕生か、輝かしい未来への再生とするのもこの雷というのかもしれない。

フランケンシュタインという人造人間の誕生の時の電気ショック的雷光のように。

キリストの復活の時の神々しさを称えた、ゴルゴダの丘の上立つ十字架に降る清々しい雨と美しい白光のように・・・。

ありがとうございました。

M田朋久


濱田.comへ戻る浜田醫院(浜田医院)コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせいよくある質問youtubeハッピー講座