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■ あげまんの法則 | 2010. 1.30 |
昔、故 伊丹十三監督の映画で「あげまん」というのがあって、当時から流行した言葉でこの放送禁止用語になってもおかしくないような日本語は、今や完全にある一定の高い地位を築き上げ、堂々と社会を流通しているようである。 「男を出世させる、成功させる、立派にする」女性という意味で、あろうが、何となく勘違いされやすいのは あげまん=良妻賢母 というものであろう。 悪妻を持つ有名人は多い。 古いところではソクラテスの妻だ。「悪妻は、哲学者をつくる」という言葉はこのギリシャの大哲学の悪妻持ちから来ていると思われる。 ロシアの大文豪、トルストイの妻も悪妻で有名である。どんな風な悪妻ぶりか不明であるけれど、この夫である大作家を晩年まで、相当に苦しめたらしく、其の原因かどうか不明であるが、最晩年の家出と放浪と死は、この妻からの逃走であったらしい。それでもこのトルストイの妻があげまんかさげまんかというと、結果的に夫を世間的な有名人にしたワケであるからあげまんと言うかも知れない。 日本の文豪、夏目漱石もこれまた有名な悪妻持ちである。 このような有名著名人の存在ぶりからすると、ますます悪妻イコールさげまんということではないいらしいということがうかがえる。 考えてみると、素晴らしい良妻賢母で男を蕩かすような女性であれば男の欲求はその女性を所有しているだけで外の社会での活躍や冒険的大事業や偉業など望むべくもないであろう。 その男性の幸福の根源は、その夢のように素晴らしい妻(女性)にすべて集中し、完了し、物語が全く生じえないのである。 先日、或る若い新進気鋭のドクターと話していたら、男が女性に求める要素は3つだそうで 1、何らかのエネルギーをくれる人 2、母性を与えてくれる 3、癒しを与えてくれる ナルホド。 しかしながら筆者としては 4、「父性」を満足させてくれる女性 つまり、ヨチヨチさえてくれる人も有難い。男の保護欲を満た してくれる。 5、ついでに、オモチャになってくれる女性も最高である。 5については異論もあるかも知れないが、男のオモチャになれる都合の良い女性は、最高の「良い女」だそうで、これは筆者の持論ではない。 6、ついでに虐めてくれる女性も良いと言っておられたがこれは筆 者は勘弁願いたい。 こういう風に考えていくと、男女の相性の問題も含め、所謂「あげまん」には法則的に男を元気にさせ、世に出し、輝かせる女性を、そのような尊称を与え、全く意図しなくても結果として、男から元気や精気を奪い取り世の中での存在感を失くさせみすぼらしくさせていく女性を「さげまん」と呼んでも良いであろう。 したがって、金遣いが荒く、虚栄心と欲の塊で嫉妬と猜疑心の権化のような悪女であっても、それが男にとって心地良い適当な刺激となって、男をはぐくみ育てていく可能性だってあるワケであるから、世の多くの女性達も、良妻賢母などをめざさずに自分らしく、ワガママに好き勝手に生きて、適当な男を、蕩しこんで楽しめば良いのではないかと思える。 ただし個人的な見解であるが、「さげまん」の女性の特徴を、ひとつだけあげるとすれば、それは、何かしら、冷え冷えとした、体温の低い女性がその傾向にあるように思える。 それは 所謂「冷たい女性」という意味ではなく、周囲を凍らせてしまうような、底冷えのするような女性で、ついでに魔女のように美しい容姿の持ち主であればマチガイナク、「さげまん」と思えるが、いかがであろうか? この最後の法則は男の場合の「さげまん」にも当てはめられるが、口説いようであるが 「冷たい男」という意味ではない。 一見に「冷たい女」「冷たい男」というのは意外に「あげまん」「あげちん」だったりするのでこのあたりの判断は少しムツカシイようだ。 何かしらの「熱」「熱いもの」たぎるエネルギーの持ち主に「あげまん」「あげちん」が多いような気がする。その上に、濡れている、水っぽい男女も良い。瞳や、口や、性器の粘膜が乾燥していない・・・というような意味である。思い過ごしかも知れない。 ありがとうございました。 歴史的に見て 「さげまん」の典型は 楊貴妃という、絶世の美女であろう。かつては名帝王であった奏の始皇帝を、その妖艶な魅力魔力で彼の人を悪君としてしまった。 殷という国の紂王の愛妾である「妲己」という女性も、楊貴妃と同様の意味でさげまんであろうと思える。 |