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■ 男の生きざまについて | 2010. 1.26 |
世界中の映画賞を54個獲得した、話題のマイナー映画「レスラー」を観た。 今や、シルベスタ・スタローンと同じく、ムキムキマッチョ系の男優ミッキー・ロークがかつての栄光を背に、哀感たっぷりのそのやや老いて落ちぶれたドサ回りのプロレスラーの愛と人生を演じ切って、ナカナカの秀作であった。 物語は、極めて単純。一人娘や恋人との愛に破れ、カタギの仕事も一人前に出来ずにプロレスラーとしてしか、「生きて行く」ことのできない不器用でうらぶれた、中老の男が、心臓病をおして生命がけで、往年の敵役と再戦をする・・・というものである。 男の人生における愛のカタチ。それはまず男女の愛、親子の愛、そして、仕事への愛。このつきつめればすべての男達の中に潜在する本能とも呼べる、「愛」の行動に集約されるようだ。 それぞれの人間関係の中で男同士つまりレスラー仲間達との暖かいやりとり以外では、どうしても家族や家庭を含んだ一般社会、普通の人々の生き方に馴染むことができず、まるで、日本のヤクザのようにその「男の世界」に戻って行く姿は世界中の男達の心の深奥に潜む本能的欲求に共振するのではないだろうか。 数々の映画賞を総ナメにしたのも、この作品のユニークさというよりも、男のドラマの普遍性への多くの人々の共感によるものかもしれない。 自虐的とも言える、自己鍛錬は、ステロイドホルモン注射、鎮痛剤やED治療剤を含め、ありとあらゆるドーピング用の薬物と、日焼サロンとか試合中での乱闘に使う、出血や隠し持ったカミソリでのケガの演出シーンとか、部屋代を払えず、車の中で寝泊りするシーンとか、徹底的に露悪的に悲哀に満ちた孤独な「男の生活」はリアルでホームビデオ風でもっと、カッコヨク言えばドキュメンタリー調に生々しく映像化されている。 演出されたものながら目をそむけたくなるような痛々しい乱闘シーンまであって、キリストの受難と重ね合わせられる程だ。 それでも自分の心とカラダをボロボロにさせながらも、魂はどんどん高揚していくようである。 こういう生き方というのは、女性はしないのではないかと思える。そもそも似合わない。 女性はより、現実的で家庭的で一般社会的で日常的でありふれて、安全で健全な世界に身を置きたがるような気がする。 今、流行のアンチエイジングだの健康志向だのはかなり自己愛的で、少し女性的なものに思えてくる。 こういう映画を見ると、男とはつくづくバカなものだなあと、特に功利的打算的にはそう見える。 筆者自身ですら、自分の心の奥底にはこの映画の主人公のように自己破壊的「生きざま」への欲求が深在しているように感じられる。 そうして、大切な生命の炎を、一見するととてもバカげていて幼稚で子供染みた愚行に燃やし尽くして、死んでゆく。それは偉業とか大業とか所謂世間的な成功とかからかけ離れた、或る意味で普通の男達の典型的な生き方なのかも知れない。 ありがとうございました。 追記@ ベネチア映画祭で金熊賞だか金獅賞だかを獲った作品には、我らが北野武監督の「HANABI」があるが、これも、何となく似たような作品で、「痛いシーン」が結構出てくるので、イタリアでは、痛い映画がお好みなのかも知れない。 追記A ミッキー・ロークもシルベスタ・スタローンも同じ星でタイプ8。男の強さにこだわりを見せるという特徴を持つ。「老人と海」の作家、ヘミングウェイもこの星ではないかと踏んでいる。 |