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■ 時間の連続性を断つ | 2010. 1.19 |
ある時、急に一瞬だけ、何から何まで、世の中が、新鮮な輝きを持って、筆者の眼前にあらわになったので何故かと自分に問うてみるに、それはあるひとつの考えが、浮かんだからであると思えたので、そのことについて書いてみたい。 その考えとは「時間の連続性を断つ」というものであるが自分がフッと思い立った割りには結構インパクトがあって、この言葉というか感覚によって急に日常のあらゆる物事がとても新鮮で生き生きと感じられ、非常に爽快な気分になれたのでこれは、多分、ミルタザピンという新しい抗うつ剤を実験に約3週間ばかり服用しつづけた結果ではないかと踏んでいるが、本当のところは分からない。自分の単なる「気づきの力」とは思える程、精神や脳の働きについて、素朴に考えれる程、単純な思考をする人間ではなくなっている自分もいるのでさらに驚きである。 あの何とも言えない悲哀感、虚無感は、いつのまにか、霧散し消失してしまって何だか快々といえる。 躁病になったのかしらと自らを疑ってみるが、カラダがかったるかったり、眠かったり、時々は憂鬱になったりもするし、躁病の人のように落ち着きが無く、ソワソワしたり誇大妄想的になるワケでもなく、どちらかというと「落ち着いて」いるので、これはもしかして心の中に起こった小さな「悟り」のようなものを実感しているのかも知れない・・・・とも思えるのだ。 時間の概念については、さまざまの書物や哲学書や、宇宙物理学にもたびたび出てくるが、時間は止められないけれど時間に対する考え方は変えられるのが、人間のひとつの偉大な暁光、希望と思える。 というのは、魂の不滅、時間の瞬間性と永遠性を或る異なる思考のステージから時間を見てそれを「連続性」と悟道的に直感しその上でそれを「意識的に断す」というワケであるから、この感じで周囲の事物や事柄や人や出来事を見ていると何だか新世界、別世界にいるような気分になれるので、子供のように純心で理由のいらない嬉しい気分に浸れる。 明日の予定も、たとえば、歯みがきとか、洗顔とか、着替えとかの身支度とかのルーチンワークも、書類書きと、診療とかの仕事とか、クルマの運転とかまるで、素のままの新人、初心者のような気分になれて、これがまた、とても「嬉しい感じ」であるので、このことを夜中の3時に一心に書き連ねている次第である 「日々新たなり」 中国の古典であり、先の経団連会長で元臨時行政調査会、略して「臨調」の委員長を齢90才にならんとする御年で努めあげた、東芝の元会長でもある、土光敏夫さんの座右の銘であるのは、あまりにも有名である。 氏は岡山県出身で日蓮宗の熱心な信者であるので、何かしら修行僧のような趣きを持った立派な人物であるし、90才代まで生きて、社会に大きく貢献した方であるので「あっそうか」この方もこんな風な感覚で、世の中を生きて来られたのかも知れないとも思えて益々嬉しかった。 毎日、同じことをしても良い、しかし毎日、同じ感覚では良くない。倦んでしまう。飽きてしまう。 毎日が一瞬一瞬が新しい時ならば、それは素晴らしい感覚であるし、一瞬一瞬の時というものが、永遠にも思えてくる。 新しい時間の感覚を得ることができ、人生が毎日新しく、見るモノ、聞くモノ、触れるモノ、嗅ぐモノと、あらゆる五感が人間にうまれ「喜べ」「味わえ」「苦しみさえも味わえ」「平凡を味わえ」「苦難も味わえ」そして、へでも「楽しめ」とも。 時から言われているようで、とにかく、バリバリと元気になるような心持ちがする。 毎日が初心者、 毎日が、新しい日 これは土光さんではないけれど、人生の奥儀のひとつと言えるかもしれない。 ありがとうございました。 追記@ 今日この日12月3日は56才の誕生日。 まさしく、新しい一日、イヤ新しい人生の第一歩と思い生きて行こうと思う。 |