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■ 脳の構造と心の病気について | 2010. 1.19 |
こういう、大上壇に振りかぶったような大それた話を思い切って書くには、チョットした勇気が・・・のであるが、敢えて書き置いてみたい。 それでもこの理屈は、筆者の経験と、僅かばかりの知識とで創り上げた仮説であるけれども、臨床の現場での的中精度はかなり高いものであると、少々自負している。 念の為にザックリと脳の構造を述べておくと、上位から @大脳皮質(灰白質、白質) A大脳辺緑系・大脳基底核 B間脳 C脳幹(中脳、橋、延髄) D脊髄 これらを中枢神経系と言って便宣上、脳に含めて考えたいと思います。 最も人間らしい高度な働きを持つのが もちろん大脳皮質の前頭葉連合野で「おでこ」の部分でありますがこの部分には、創造的喜びを感じる快感神経(A10神経)も連絡していると同時に主に「コミュニケーション能力」を高める必要性があって、発達して来たらしい。この前頭葉と後頭葉の別れ目は「中心溝」という大脳下部より斜め後方に向かう溝であるが、この中心溝の部分には、主に全身の「運動野」というのが分布していて、そのカラダや顔の表情や各部の動きを小脳と協働して司っている。 頭頂葉や後頭葉は主に視覚や聴覚や触覚などの感覚の受容する場所となっている。もっと簡単に言うと、大脳皮質の前の方は、創造的(働きかける、創り出す脳)で後ろの方は(外界の情報を受容し、蓄積する場所と考えれば良い。 つまり、人間の脳の最も上位にあるもっと構造的に表現するなら表面にある、構造物の役目というのは「考える、教える」場所である前方と「憶える、学ぶ」場所である後方に分けられると考えれば良いと思える。 このように人間の人間たる特徴というのは「学ぶこと」と「教えること」と言い換えても良い。それで教え合うというのが、人間のコミュニケーションの中心的行動であるので、目や口や耳や手を使ってお互いに交流し合うように作ってある、というワケである。 このように考えていくと、学んだり、教えたりすることは人間の行動の中でも、他の動物とくらべて、結構レベルの高いもののようの思える。 白質というのは神経細胞ではなくて神経線維であるので、より下位(内奥とか深部)にある、大脳辺緑系とか大脳基底核とかと連絡する役目が主であり、さらにその下位の間脳、脳幹、脊髄とつづく、首から下の肉体の支配、制御、つまりコントロールをしているということになる。 大脳の表面から第2の深度にある大脳辺緑系には、主に「記憶に関係する「海馬」と「情動」に中心となる「扁桃核」という部分があるがいずれも、人間の心の働きにとって、極めて重要な役を買っているけれど、それらも上位にある「学ぶ教える」という高度な機能を円滑にする為に存在する補助的なものと捉えることもできる。 ちなみにこの大脳基底核には尾状核とか被殻とか淡蒼球とかの主に随意運動(手や足などを動かすこと)の調整している中枢があって、これを栄養する、中大脳動脈という細い脳血管が「脳卒中動脈」と呼ばれていて、破れやすく、つまりやすいので、所謂、脳梗塞の時に出現する片麻痺(半身不随)の症状の由縁となっている。 この部分の変性する原因不明の病気にパーキンソン病とかピック病とかハンチントン病などがある。 さらにこれらの病気の起こりやすさというのは、勿論遺伝もあると考えられるが、脳梗塞と同じように食生活の影響がかなり大きいようで、筆者自身による多くのこれらの病気の人へのインタビューでも明瞭であるのは、「酒好き肉好き野菜嫌い」という特徴を有する。 未だ確証はないが、以前マスコミで話題になった狂牛病(BSE)の主因として明瞭であるのは「牛肉食」であることはご存知のとおりである。 全国チェーンの牛丼屋さんなどに入って見ていると、若者に混じって明らかに足やら手を引きずった軽い片麻痺の方が店を訪れておられて、「知識」というものの重大さについて、思い知らされる。 西欧、特に米国のハリウッド映画などでは、いつものように、あんなにヒステリックなほど嫌煙運動の激しい国柄にもかかわらず、スパスパと主人公にタバコを喫わせ、ステーキを食わせ、強いウィスキーとかウォッカとかを飲ませるのはなんでであろうか? 「海馬」というのは、タツノオトシゴのことで、その名のとおりのカタチをしていて、脳の中では結構大きい組織なのであるけれど、恐らく胎児期からの、その人間の膨大な情報が記憶として貯蔵されていると考えられ、「幼児体験」とかの記憶がトラウマやら快体験やら不快体験として、その人間の性格特質、さらに学習されつくり上げられた人格として、その人そのものかも知れないし、それに連なる「情動」性欲や食欲、怒り、不安などの中枢である「扁桃核」というこれまた極めて存在感のある脳内部位があってそれらは、大脳皮質や、その下位にあるすべての感覚の中継地となる「視床」と、体温調節、血糖調節などの生命維持や、種としての生命維持である、性欲や食欲の中枢や、自律神経(交流神経、副交流神経)ホルモン分泌など、或る意味人間のエゴの中心的存在と言える「視床下部」という部位があって、これらはまさに下位にある、間脳の中の中枢である「中脳」「橋」「延髄」へと連なる。 橋はその名のとおり、小脳と大脳の脳幹部の橋渡し的な部位と役目があり、脳の最部に位置する「延髄」には呼吸や循環や発声、咀嚼などの働きをコントロールしており、小脳は、大脳皮質の運動野の情報をプログラムしたり、チェックしたりして随意運動を巧みに調節している。 こうして見ると、脳というものがいかに複雑な機能を有しておりまたそれらを総合して、機能させる能力というものは、パソコン(ICチップ)どころではないと思える。 このような構造を考える時に心とカラダを分けて考えることが、いかにナンセンスであることがありありと分からせられる。 つまり、極く単純に考えても心(脳)に浮かんだ、イメージや言葉がその神経伝達システム、脳内ホルモン分泌システム、たとえば、快楽系のドーパミン攻撃逃避関係のノルアドレナリン、抑うつ系のセロトニンなどを通して、全身の細胞のすみずみにまで影響を及ぼさないと考える方が無理があるのだ。 その上、所謂スピリチュアル系(霊的)の問題にも脳が関係しているとすれば、それは宇宙(神)との交信システムとも言えるので、あわやおろそかに言葉というものを、扱ってはならないということの重大な、自然科学上のメッセージとも思えるのだ。 つづいて、書き足しておきたいことは、大脳皮質の左右差の問題で左脳は言語野の中心で、論理的、デジタル系である一方で、楽観的思考を生み出すらしく、右脳は多分にイメージ的でアナログ系で情緒的、感性的であり抑うつ的思考を生み出すらしいので、 たとえば音楽を聴きすぎたり、酒を飲みすぎたりして、情感が高まり過ぎるとどうしても抑うつ的になりやすく、それを抑制というか制御するには論理的思考が有効と考えられるので「うつ」の治療の方法として薬物以外では、運動(脳を論理的に使うらしい)とか読書(言葉を使用する)とか話しをする、文字を書く絵を書く、仕事をする、計算をする、などがうつ的思考の脳内における尊厳をコントロールするのではないだろうか。 もちろんこれらの有効でないうつ病もあるので、結構ヤヤコシイけれど上手にアタマを使うことが脳にもカラダにも良さそうであるというのは、誰でも理解できることである。 まとめの為の key point. @脳には立体的に 上位と下位があり左右がある。 A脳とカラダは連絡している。 B食事や生育歴や人間関係(特に親子兄弟) が脳にかなり大きい影響を与える。 C言葉や行動や薬物の脳への有効性、害無性 |