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■ 納得できない! | 2010. 1. 8 |
県民性についての本によれば、熊本県の人々は議論好きだそうである。確かに熊本市で仕事を始めてから、早2年。この地域の特に男性はこの傾向を感じる。筆者の地元である県の南部の人々のおっとりとして少し田舎風のま間伸びした受け答えからすると、何となく、会話全体が議論になりやすい気がする。 医者と患者であるから議論と言っても大したことはないのであるけれども、時々はそれが長くなると疲れ果ててしまうこともある。 その議論の時に気になるのが「納得できない」という言葉である。私達が納得しようとしまいと、季節は移り変わり、世の中は変化し政権交代をして、地球は自転し、公転し、正月が来、年は変わり、時間は残酷に過ぎてゆき人々は老い朽ち果ててゆく。 もともと、議論は何も生まないことが多いらしい。 それは非生産的で無駄な時間だったりする。「議」という字は争い戦いを意味するらしい。論を戦わせるのが議論であるが、営業関係の仕事をする人は、これをお客さんとは決っして、してはイケナイそうだ。みんな持論自説が正しいのだ。少なくとも議論している時はそう思っている。 自分が正しいということは、相手が「マチガッテイル」ということになる。自分の正しさをお互いにぶつけ合うと、これはもう歴然とした喧嘩である。そうしてお互いに結果として議論が勝ってモノは売れない。ついでに嫌な思いを抱いて終わる。これを交流分析という心理学では「心理的ゲーム」と言う。 筆者は自らの「納得性」にはできるだけこだわらないようにしている。 モチロン説得の大切さや理想はある。けれどもそれに照らして世の中の人々や、家族やスタッフを納得させようと、懸命に説得するのは良いとしても、他者の考えや行動について自分の納得性などに拘泥していたら、何事も前に進まない。 世の中は、実のところ、矛盾に満ち溢れ納得できないことなど山ほどあるのだ。 自分が納得するまで、行動が起こらなかったら仕事でも、家庭でも、学校でも成功や幸運などおぼつかない。それはすべて行動の結果生じるものであるから・・・。 自分が「納得できない」と言って頑張っている間に、時には進み、周囲はどんどん変化成長しているのだ。 「納得できない」に滞っていることは、人間関係においても、個人の人生においても、大切な損失になりうるのだ。 先日「イエスマン」という映画を観たが、物語をかいつまんで述べると、頼まれ事や友人の誘いについて「ノー」ばかり言っていた、どちらかというとうだつの上がらない、銀行の融資係の主人公を米国人のコメディアン俳優のジム・キャリーが演じていて、「イエスマンがいかに幸運を招くかという、言わば宗教団体にイヤイヤ行かされてテレンス・スタンプを演じる。その教団の教祖サマの説教をじきじきに、賜り、無理矢理「イエスマン」としての日常を送るのであるが、次々と起こる喜劇的なドタバタ事件と共にいつのまにか色々な幸運に恵まれていくというものである。 結構、奥が深いと思えるのは日本語で言うところの「素直」という言葉に通じるものがあるからだ。 素直が良いか頑固が良いかという問題になると、それこそ議論になりそうであるが、これはもう殆んどの人が素直の方がはるかに幸運そうに思える。 素直な人は、普通人に好かれる。そのことを本人も気づいている。 好かれるというだけでも幸運そうである上に、明るい柔軟な性格を連想させる。 実際に、パナソニックの創業者で「経営の神様」である松下幸之助は「素直道」というものを提唱されていたと聞く。この会社の入社試験の面接というのが、変わっていて、「運の良い人」を選ぶそうである。どうやって選択するかと言うと、「あなたはこれまで運が良かったですか?」と尋ねるだけであるが、「良かった」という人を雇い入れるそうである。これまで運の良かった人はこれからも良い可能性が高いであろうし、それよりも典型的なプラス思考の持ち主である可能性高く、また悪しきことを忘れることと良き事を記憶しているという性格特徴を有していると想像される。 ありふれる才能に恵まれながら一流になれなかったアスリートの特集を読んだが、いずれの人も意外なことに過去の素晴らしい成功体験をあまり思い出さず、イヤな苦いプレイのことばかり思い出して苦しむというのがあって、ナルホドなぁと感じ入ったものである。これはもう明らかに脳の活動に悪い。スポーツというものはその運動体験の記憶が練習の中心となるのでこの結果は至極当然に思える。 ついでにこれらの人々の特徴を例にすると、 1、「人を喜ばせようという気がない」 プロスポーツ選手に限らずアマチュアでも見てくれている人のことを考えない人は大成しないようだ」 2、とにかくイヤイヤそのスポーツをしている。(好きこそものの上手なれである) 3、向上心がない。(これは当たり前ですネ) 4、つづかない(ひとつのことをつづけられない人はどんな世界でもモノにならない。) 5、それを楽しめていない。苦しさを楽しめていない。 等々であった。 松下氏の話に戻るが「じゃあ、一体どうすれば運が良くなるか?」とその運が悪かった進入社員の面接の人が問うと 松下爺曰く 「宇宙の波動に乗ることだ」 重ねて 「じゃあどうすれば、宇宙の波動とやらに乗れますか?」 と問うと 「人の話を素直に聞くことだ」 そうである。深いですネ。素直道は。 この話では、致知出版社長の藤尾英昭氏の講演会で聞いたものである。 日露戦争の時に連合艦隊の司令長官に東郷平八郎を推挙した、当時の大山巌大臣に天皇が、「何故東郷を推したのか?」と問われ「あの男は運が良いですから」と答えたそうである。 今でこそ軍神東郷さんであるが、当時は風采のあがらない茫洋とした人物で、周囲がアッというくらいの大抜擢であったそうである。 この話「納得」されるかどうか知りませんが ご参考までに。 ツベコベ言わずに言うとおりにしろ」とか「ブツブツ言わずにさっさとしろ」とか言われると人間はムッとして反抗しそのことをしないものであるが、筆者の場合、体育会系だったり、暴走族あがりだったりしたせいか、意外にスンナリ「ハイ」と言って大抵のことはしたものである。 研修やら、セミナーやら仕事や講演の依頼など殆んどふたつ返事であるし、たとえそれが「ただ働き」だったり不評であったり、何の成果も無かったとしても、それ程めげずに文句も言わず、引き受けてきたものであるが、筆者の人生はこのスタイルで、「イエスマン」の映画のように良いことばかりつづいている。 ありがたいことだ。 「素直道」様々である。 納得性など本当はどうでも良いように思える。 自分の実り多く幸福な人生にとっては・・・。 ありがとうございました。 濱田朋久 |