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■ 本当に大切なものはタメられない | 2009.12.18 |
人間が生きる為にとっても大切なことって、お金のようには蓄積できないように思える。 これって、案外重要な了解事項と思えるのですけれど、見るからに貪欲な人というのは、このような事実を忘れないでいるのではないかと思えることがある。 生命。ためられません。 毎日老い朽ちて行きます。 時間。ためられません。 ドンドン過ぎて行きます。 楽しい時は素早く、苦しいときは長くなります。 健康。ためられません。 毎日の努力が大事です。 食事や運動や心地良い人間関係なども実は、当たり前ですけど、適当に続けることで持続できるもので、サボると失われます。 筋肉もそうです。 運動能力もそうです。 楽しい気分も、そうです。思い出すことはできますが・・・。 人脈はためられそうですが親密さ信頼関係を維持するには日々の工夫や努力が要ります。 ためようと思うと少しシンドイですネ。 知識や情報は蓄積できます。モチロンお金もためることができるモノです。 いずれも、とても便利なものです。 食物もためれます。空気や水もひょっとしたらためられます。これらは、生きて行く上で大切なものであり、有難いものです。 でもお気づきのようにこの蓄積できるものはすべて生きていく為の手段であり、道具であり、本質ではありません。 このような意味では衣類も靴やバックも家や不動産も道具でしかありません。 人生を野球にたとえてみましょう。 イチローみたいな大選手はボールやバットやグローブを大切にします。これはためれますネ。コレクションもできます。 自分の肉体の状態、技術や精神力は蓄積できませんが、道具よりはるかに大切なものです。 イチロー選手が野球場を買い集めたりするでしょうか。 ひょっとしてグローブやバットとかはコレクションするかも知れませんけど・・・。 それよりも彼にとっての最も大切な資源となるものはその健康な肉体と野球についての高い技術や智恵や精神力や、数々の経験でありましょう。 何となく蓄積できそうなものもありますが。彼の野球人生を生きていく上で最も大切なものは、毎日の鍛錬が必要な、その肉体の能力と高い技術に他なりません。 イチロー選手は誰もが認める野球の達人です。 私達も人生の達人であろうとするなら、大事なことは、健康な肉体と精神力や仕事の技術、人間関係の技術でありこれらは知識として身につけられるものもあるとして、毎日毎日鍛錬しつづけて、維持するものであり、蓄積できるものではないと思います。 その上私たちの人生そのものである「時間」こそは決して蓄積できないのにまるで蓄積できるか、永遠不変のように時間を取り扱い本来は楽しくあるべき時間(生命)をいかにも苦々しく重苦しいものとして、何の後悔と痛痒も感じないという人々がいて理解に苦しむことが多々あります。 私達の人生の「時間」こそためられないけれど最も貴重なものであるとシッカリ自覚しさえすれば、少しはマシな人生を送れるのではないでしょうか。 どうでも良いような程度の低いプライドとかゴミカスのような衣類とか、使い道の無い必要もない巨万の富というものにその蓄積した人物にとってどんな意味があるのであろうか? 余計なお世話かも知れませんけど。 ありがとうございました。 濱田朋久 |