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■ コカ・コーラ | 2009.12.11 |
何せ世界一の名の通ったブランドであるそうな。 最近はこの一見アヤシイ色合いのクセになりそうな甘さの飲み物にハマっていて、1日1本約500ccは飲用していて生活のリズムを取っている。 中身は毒じゃないかという人もいるが、これを常飲しておかしくなったという人も見かけないし、飲酒運転にひっかかるような代物でもないのでゼロカロリーとかノンシュガーなどという甘〜い口車に乗せられて、缶コーラでなくペットボトルに入ったコーラを仕事中も運転中も心地良い覚醒感を味わいながら思い切り飲んでいる。 一番ウマいのは酒を飲んだ翌日、朝の目覚めの一口だ。 二口くらい飲むと喉がジガジガとした感覚と、胃の中で甘い炭酸が心地良いゲップを促してくれて何だかスッキリする。 どうやらカフェインも入っているらしく夜に飲むと寝つきが悪いが、日中には仕事や運転やモノカキや読書や勉強の力強いオタスケマンにも思える。 その名のとおりコカインも少し含まれるのかしらとバカげた想像もしてみるが、ひょっとしたらあり得ないことでもなさそうに思える。 外国タバコには麻薬が混ぜてあるなんていう噂もあったりして、何となくクセになりそうな人間の嗜好品には脳を人工的に快楽に浸らせて商売物を売りつける手段の重要薬物と考えると、所謂医薬品などよりヤバイなぁと思える。 何せタバコ、アルコール、コカ・コーラ、コーヒー、紅茶など人間生活の憂さを紛らわせてくれるこれほど安易な麻酔剤はない。 それでもって世界一のブランドなのであるから何だかパソコンのウインドウズ(マイクロソフト)みたいなもので、世界中にその販路を持ち、日本などではそこいらじゅうに自販機やらコンビニやら果てはホームセンターや大型薬局にまで箱積みにしてあって、それらを肩に担いで買っていく姿などを時々見ていると、一抹の不安を胸の内に感じながらもせっせと飲んでいる。 これとタバコの組み合わせは絶妙で、脳髄を痺れさせるほどではないが、筆者の感覚としてはアルコールよりも心地良い。 困ったものだ。 そして近頃はCoca−Colaと独特ながら単純なロゴマークを見ると、さしたる理由もなく妙に嬉しくなって来て、ますます「コーラ中毒者」になったような気分がして何だか医者らしくもないし、お恥ずかしい限りである。 健康第一を旨とする医者という職業人がアルコールとコーラとタバコの常用者というとサマにならない気がするからだが、麻薬とか覚醒剤の中毒者でもないし、世間を歩いても誰も後ろから指をささず、屈強な警察官が覆面パトで令状を持って逮捕にくることもないので堂々としておれば良いが、何となく見た目は良くないような気がする。 気のせいであろうか。 こんな風な嗜好の変化のひとつの理由は、再びバスケットボールを始めたということとバイクに乗り出したというのとアタマとタマをアルコールから防護するという意味合いがあって、これは筆者自身の人生や職業上の大問題、つまりアタマやタマが正常に働かなくなるという恐怖の為である。 昼間のアルコールとか夕食の時のビールやワインなども今ではできるだけ差し控えているのも上記のような動機によるものである。 今筆者に最も必要な行動は何ぞやと自問した時に、最初にアタマに浮かぶのは瞑想であるが、これは日常生活のどこに組み入れるか思索中であるが、一般に朝が一番と言われているのだけれども早起きはイヤだし、チベット体操や筋トレや朝の仕事の準備で難しいので、夜の就寝前の10分間、コラム書きと同様に例外なく今日この時から実行しようと思っている。 これは約10年以上前からの懸案事項であるので、どんな酔っ払っていようと泥のように疲れていようと、いかに満腹でろうと、つまりいかなる言い訳も例外も許さずに実行しようとあらためて決意している。 とにかく始めることだ。 午前0時に。 少なくともコーラとタバコでボンヤリとウットリしているよりマシな気がする。 そもそも実行力というものは条件付けや言い訳や「例外」を排除することで高まるものではないだろうか。 自分自身に言い訳を許していたら人生において何事もなしえないのではないだろうか。 とにかく「やってみる」。 まがりなりにも「やってみる」。 まとまってなくても「やってみる」。 ありがとうございました 濱田朋久 |