コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 患者と医者の距離について2009.12.11

この問題も読者の方からいただいた。
これは3つの面から見ることができる。
まず患者の側からの医者との距離。
次に医者から見た患者との距離。
そして第3者から見た患者と医者の距離である。
一般的には第3者から見た患者と医者の間の距離を指して、その「距離」を考えるのが妥当と思えるが、それは文章を書く側というのは主に文筆家とかメディア、マスコミ関係の人が中心出ると思えるので、ここではそれらの第3者的な見方というのを一旦除外して考えてみたいと思う。
何故なら第3者から見た患者と医者の距離というのはどうしても他人事、ヨソ事なので物凄くいい加減で、評論家的で、何かしらの好奇的・猟奇的な興味をそそる読み物としては面白いかも知れないが、真面目な切実な当事者としての立場として内容を提供したいと思う。

患者から見たお医者様というのはやはりとても偉いのである。
個人的には偉くて良いし、多少偉ぶっていても良いような気がする。
筆者もアキレス腱の断裂の手術を2度程腰椎麻酔で受けたり、歯の抜歯とか虫歯とかで歯科にかかり、その他耳鼻科とか眼科とか、循環器内科とか皮膚科とか、消化器内科とかそれぞれ結構シリアスな心持ちでかかったことがあるが、この時に感じたことを一言で述べるならば、その担当医に対する畏敬と信頼と依存と、とにかく全存在的に医者というものを「ある絶対者として見ていること」である。
同じ職業の人間としてもそのような気持ちを抱いている。
それに何の抵抗もなく受け入れていることが或る意味とても驚きである。
自分は同じ職業であって、内容もその心理も知悉している筈であるなのにである。
それでもかかった医者を全的に信じるというのも少し奇異に感じるけれども、実のところ病気もしくは病気であると信じている人間にとっての立場というのはとても弱いものであるし、最終的にはそのかかった医者を信じるしかないのである。
(特に、やたらに疑い深い人がいて、この場合その人はとても臆病に見える)

もちろん例外もあって医者を最初から疑ってかかる患者さんもおられるが、それでも或る程度は信じて薬をのんでいただけるし、その色々な検査や処置や治療を充用して受け入れてもらえるのは一医者としてとても有難く、或る種の崇高で高邁な精神を持った“人物”としての医者を演じようという気分にもなるが、これは患者と医者の間に生じる一時的、瞬間的なもので、いったん病気が治ったり軽快したならば何の異常も無かったと判明して安堵した状態になるとその関係は元のただの友人になったり、恋人になったり親子になったり兄弟になったり、赤の他人になったりただのオッサンになったりオバさんになったりするものである。

つまり、医者と患者の関係の距離というのは非常にダイナミック(躍動的)なもので、決してスタティック(精子的)なものではないと思えるのだ。
このあたりは医者の側の勘違いか「あの医者は威張っている」とか「尊大である」とかの下落の一因になっているような気がする。
当たり前のことであるが、医者が治療を終わって市井に出てしまったならばただの人間なのである。
ただ瞬間的に偉いのである。
治療者、検査者、慰め相手としての医者というのは患者にとって絶対の存在であるのだ。

そういう意味ではどんな病気であれそれになって医者にかかったことの無い人は医者になってはイケナイような気がする。
また良き健康を享受している人はこの患者―医者関係について正しく評論することはできないと思える。

こういう特殊な関係の問題の本質はかけがえの無い生命や健康という人生で最も重大な問題を孕んでいるからであるから、これはもう当然のことであるのにどうも色々な医学雑誌、医学ジャーナルや一般雑誌、政府やマスコミの評論などその「実感」があまりこもっていないものが多いように思える。

とにかく患者というのは、その病気の種類によっては人生を左右するような極めて切実で深刻な問題を抱え存在しているものなのである。

ハッキリ言ってやはり患者は弱者であり、どんな富者も貧者も同じく苦しむ人耐える人(ペイシェント=患者という意味)と思える。

・・・であるので瞬間的に、一時的に医者と患者はまるで真の親子のように親身で一体で剥き出しの依存―非依存の関係がその間に生じることもある。

特に全身麻酔下の患者というのはまさにマナ板の鯉であり、料理人の材料であり、実験者の研究材料であり、生殺与奪を持った医者という神の前に捧げられた供物か生贄のようなものである。

これは軽微な歯科処置みたいなものでも、眼科のそれも、耳鼻科のそれでもそれぞれあるようであるから、この関係が終了しメデタク治療に通常の人間関係が戻った時に医者の患者の間には深い信頼と尊敬が生じるのである。

結論を述べるならば、医者と患者の距離は瞬間的に親子や兄弟や夫婦よりも親しく親密になることもあり得るけれども、それはその関係性の変化と共に「正常化」して行き、世間の「礼」を取り戻し「赤の他人になる」「元の友人同士になる」「普通の知人・友人」「恋人同士になる」・・・という風に考えている。

だからこそ用心はしなければならない。
というのは教師と生徒のように、そこに情愛めいたものが遺残してしまったならばひょっとしたら世間の非難を浴びるような背徳的で不道徳な関係に陥る可能性も隠されていて、或る程度の注意を要する。
米国は患者と関係を持った精神科医はその資格を剥奪される・・・というような法律があることも聞いている。

お互いに注意したいものだ。

ありがとうございました
濱田朋久



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