コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 問題解決のコツについて2009.11.29

人生の大きな転機というものの到来に際して、人間の一般的な反応というものは大方の予想どおりやや重苦しく深刻なことが多いように思えるけれど、実際に良い判断決断というのは、どちらかというと軽々として明るくサラリとしたものではないだろうか。
今回はこの事について書いてみたい。

色々私的な事件がつづき、珍しく筆者としては少し悩んでしまったのであるけれど、その時にタマタマ出会う本とか講演CDとか頼りになる人というのがすべてそろいもそろって「軽く明るく行こうや」というようなメッセージばかりで、ついつい重々しくなりがちな筆者の心を瞬間的に秋の透明な青空のように晴れ晴れとさせてくれたのであるけれど、実際にそのように「反応」することが最も良い心の状態で、結果的にも良運・良果を得やすいということであるらしい。
どうも人間の心と現実に起こる現象というものには計り知れない程密接な関係があるらしく、物事をスムーズに順調に成功裡に進ませようと意図しているのであればそういう時こそ晴れ晴れとして快々とした澄み切った心境でいることが望ましく、多くのマスコミの扱う大事件に対する身分のある人々や、煽動された一般大衆のように「大騒ぎ」せずに鉛筆をチョット拾い上げるくらい軽いキモチで対処する方が結果的にもスコブル良いそうである。

昔の偉い人の書物などにも一大事の時ほど淡々と平然と対処するべきで、小事に対する時ほど細心で注意深くあらねばならないと書いてあって、サスペンスドラマとかパニック映画などで観る主人公や人々の行動のありようとはだいぶ異なるようである。
もっともこのような映画やドラマの中でも、所謂カッコイイ主人公というものは重大なことをいかにも軽々しくアッサリと対応し解決する場面もあったりして、ここら辺の真髄というものを表現してくれていて大変参考になる。
これらの新しい成功哲学などを汎く読んでいくと、物事を成就させる為にもこのことは割合ハッキリと明記してあって、たとえばよ〜くリラックスして楽しんでいることとか、それらの「問題」に対して「重要性」を与えないでいることとかが重要(?)であるとのことである。
つまり一般的に重要重大であると考えられること程いかにも軽々しく処する方が良いというワケであるから一般の考え方、感じ方とはどうも少し違うように感じる。
人生にとって最も重要であるのは、その「命」であるとか「健康」であるとか「財産」であるとか「家庭」であるとか、まぁ人間のエゴの極地のような問題であるから殆んどの人はやや自動的に深刻に捉えたり、重々しく扱ったりするであろうけれど、それではイケマセンヨという理屈である。

この理屈についてツラツラ考えてみるに、たとえば50cm幅の板を10mくらい歩いて渡るとして、その板が地面に置いてあったならば余程のことがない限り殆んどの人はその板から落ちないで歩き切る筈であるが、この板を10mとか50mとか100mとかの高さの空中に渡してあったならば、わずか50cm幅の板を落ちないで素早く悠々と渡るというのは至難の業と思えるし、またそれが普通の人の正直な心中であろうと思える。

この問題の人間の心の中に起こる「成就」とか「成功」への大きな障害というのはいったい何かというと、それは「恐れ」「恐怖」というものである。
つまり空中高く据えられた板から「落ちてしまうのではないか」という恐れこそ、その上手に渡り切るという「成功」を阻害させるということであるので、物事をうまく成し遂げるとか乗り切る、渡り切ることの為に最も大事なことは、その板道の位置を決して高く上げないということである。
せいぜい高さ1mくらいにしておけば、適度な緊張で逆にすみやかに渡り切れる思えるが、それが50mの高さなどになれば、普通の精神の人であれば「落ちてしまう」かも知れないということである。

どんな問題であれ、その解決の為に大切なことはその重要度、つまり板で言うところの高さとか危険度とかを決して決して上昇させないことであると思える。
結論を述べるならば、どんな問題や悩みに対しても「気軽」にしておくことの方が「気重」とか「深刻」にしておくことよりもはるかに問題解決をしやすい・・・筈であるがいかがであろうか。
この理屈ご参考になさって下さい。
こういう場合に案外カンタンに役に立つのが、精神安定剤と瞑想であるが、多くの人々にそれが何かしらの邪道に思っておられるようである。

ありがとうございました

追記
どうも人間というものは何でも重大だ重大だとか、大変だ大変だと大騒ぎするのが大好きであるらしい。
それらはどちらかというと残念ながら教養のない人々に多く見受けられ、新聞やテレビを中心としたマスコミの人々に多いようである。
マスコミ関係の人はこれはもう衆人の耳目を集めるというのが仕事であるので仕方がないが、一般の人々にとってはまことに迷惑千万な傾向である。
考えてみると人生にしろ、命にしろ、財産にしろ、地位や名誉にしろもともとは無かったものである。
繰り返し述べているように、人間は永遠に生きることはできない。
人生の一大事である命や健康ですら必ず消え去ってしまうものであるのに「命の大切さを自覚しましょう」とか「自殺予防キャンペーン」とか何となく奇妙に思える。
現代の世界はまるでエゴイスト養成学校のようであり、マスコミはというと集団ヒステリー煽動装置のようである。

濱田朋久


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