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■ お札の顔について | 2009.11.25 |
ご存知のように千円札は夏目漱石で、5千円札は樋口一葉で、一万円札は福沢諭吉という人物であるが、何だかとても奇妙である。 一般的・国際的にはお札の顔というのは普通その国の元首たとえばイギリスであればエリザベス女王であるとか、アメリカであればワシントン大統領とかリンカーン大統領という風になる筈なのにである。 そういう国際的な風習であれば、以前の一万円札の聖徳太子とか千円札の伊藤博文というのは少し納得できるけれど、本来は昭和天皇であるとか明治天皇であるとか平成天皇であるとか、出来得れば美しく高貴な美智子皇后とかお札の顔であれば国民ももっとお金を大事に有効有益に使っているであろうし、お金を見るたびに何かしらの安心とやすらぎと勇気を得られて国民の幸福感とか愛国心とかの高揚にかなり寄与するのではないかと思える。 皇族であるとあまりに高貴過ぎて、日本人の感覚であるとお金などという不浄なものの「顔」になって手垢にまみれることが許せないというものかも知れないし、宮内庁あたりからも一部の右翼団体からの反対も考えられるのでいたしかたないのかも知れない。 筆者の希望としては、たとえば西郷隆盛とか勝海舟とか東郷平八郎とか吉田松陰とか明治天皇なんか結構イケてると思うのであるが、以前は百円札に板垣退助とか五百円札に岩倉具視とかで、何となく得心させられたけれど、西郷隆盛は言わば或る意味で逆賊とも言えるし、日韓関係を考慮するとお札の顔にできないであろうし、明治天皇や東郷さんなどは日露関係への配慮でできないのかも知れない。 いずれにしても皇族とか国際関係への配慮からとりあえず無難と言える文学者に白羽の矢が立てられたのであろう。 それどもひどく憂鬱そうな漱石さんと一葉さんや、不機嫌そうで何だかやたらに威張って見える福沢諭吉の顔を見ると少し気が滅入るようである。 チョット前は新渡戸稲造という「東洋と西洋」の架け橋となったとされる人物で「武士道」を紹介する本を書いて英訳して世界に知らしめたとされる人物が旧五千円札の顔であったけれども、一日本国民としてよくよく考えてみると何だかケシカランなぁと思えるのでここにその理由を少し書いてみたい。 先日NHKの番組で、この新渡戸さんが取り上げられていて、内容というのが西欧に仕事(大使か領事か?)で出かけた折に日本人の道徳とかのバックボーンは何かと問われて返答に窮したということで、日本人の誇りとするのはこの武士道しかないということで一念発起して先述した英訳本を世界に紹介して功を遂げた人物ということになっているが、これまた何となく釈然としないのでその理由を少し連ねてみたい。 そもそも日本人の道徳心というのは武士道でなくても儒教と仏教と神道と、言うならば東洋思想の八百万の神、日本古神道というものが神代の代から連綿とつづいており、武士道というものももともと儒教の流れを汲むもので、武士という西洋における騎士道とか武人、言いかえるならば軍人たちを統制するためにときの為政者たちが考えた末につくり上げられたもので、そのルーツは仏教の流れ持つ禅宗とか儒教の流れを持つ朱子学とか陽明学の複合した結構人工的な文化なのである。 そういう前提知識を持ってこの「武士道」という書物を読んでもあまりピンと来ない。 殆ど感動もない。 それよりも山本恒朝の「葉隠」とか佐藤一斎の「言志四録」などを読んだ方がはるかに武士道というものが理解しやすいし、三島由紀夫の「葉隠入門」という本もそれこそ入門としては結構面白い。 その上この新渡戸さんという人はアメリカ人の女性をめとっておられ、キリスト教徒であるそうな。 純粋な日本人としてはお札の顔には適さないと国際人的に見ても違和感バリバリである。 だいたい、たとえばアメリカの紙幣に仏教徒やユダヤ教徒やイスラム教徒の人が「顔」になるであろうか? たとえばイギリスのお札の場合、エリザベス女王以外には殆ど絶対にありえないし、そういう美的感覚であれば美智子皇后なんぞはその気品といい美貌といい申し分ないと思えるがいかがであろうか。 ありがとうございました 追記 何故かしら元気をくれる女性の画像というと、一番は美智子皇后で、二番はエリザベス女王で、三番目はマザー・テレサである。 皆さん今や年配の女性であるし、一人は故人であるけれど、その困難に対する強さではマザー・テレサであり、孤独に対するものはエリザベス女王であり、その悲しみに耐える姿は美智子皇后の他にない。 いずれも慈愛と孤高の人々であり、女性の美というものの典型をみることができる・・・と思える。 濱田朋久 |