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■ カムイ外伝 | 2009.10. 5 |
現在公開中の邦画のタイトルである。 何を今さらと思えるのは、この原作が、 筆者の少年時代に流行った白土三平の漫画の大昔の原題そのものであるからだ。 これと同様のムードを持つ、物語というと、「超人ハルク」とか「逃亡者」とかの映画化もされたテレビドラマがあるが、 いずれも昭和30年代から40年代前半にかけて放映されたアメリカの人気シリーズで、暗い過去とか、暗い生い立ちとかを背負った孤独な男が、世間の明るい目を逃れて、 「さまよい生きる」、「逃げ生きる」というような ストーリーなっているのがひとつの特徴となっている。 笹沢佐保という作家の原作の同じようなテレビドラマで「木枯らし紋次郎」というのもあった。 この番組は、主人公役の中村敦夫氏を大スターにし、有名人にし、国会議員にもした。 これら昔のドラマと、今と、どんな共通点があるのだろう。 今は、大不況であるそうな。 確かに、失業率は高く、給料も上がらず、 企業の生産性も利益もおしなべて低いままだそうだ。 所謂暗い世相という時代であるらしい。 そんな時代にあって、愛すること、愛されることも拒絶して、 「あっしには関わりございあせん」 とか 「そんなのカンケーねえ」 とか 少し前に流行した言葉もあるように、 殺伐として、乾燥しきった心を抱えて生きる方が、 今の世の中は、 トレンドなのかもしれない。 人間関係というのは、それこそが、パラダイスでもあり、地獄でもあるのだ。 誰かの面倒を見ること。 誰かから面倒を見られること。 誰かを愛すること、そして愛されること。 これらの手続きというものは、ひとつひとつはとても楽しいこともある一方で、面倒臭くもあるのだ。 自分の面倒を見ることさえ、ままなならない人もいっぱいいる。 物事を深く考えて、人間というものを追求すれば、 真実の深いところでは、 本当は、みんな助け合っているのだ。 そのつながり、とか絆を、心の眼でしっかりと見ることができないので、妙にワガママになったり、意固地になったり、 言いようのない孤独感のさいなまれたりするのだ。 つまり自分が、人々や、自然や神の深い愛の海の中で生きていることが、分からなくなってしまうのだ。 このことは、エゴイストとか、自己中心主義者とか呼ばれる人の陥りやすい、ある種の罠がある。 共同体意識というものの欠落と言っても良い。 油断していると誰でも、エゴイストにはなる。 自己中心者で頑固で意固地でワガママになる。 これは、脳科学的には、老化の兆候でもあるらしい。 人間の脳というのは、イルカと同じ程度に重い部類に入っていて、それは、人間関係能力、コミュニケーション能力を高めるために発達して来たらしい。 昔、「イルカ療法」というのが流行した時期があって、今でいう、発達障害の子供や引きこもりの子供を治療する為に、プールにイルカと一緒に入って、一定時間過ごすというのがある。沖縄で一度、実際に見たことがある。効果のほどは知らない。 イルカとかクジラの脳には、高いコミュニケーション能力があるだけでなく、何かしらの言語らしき音波と同時に、テレパシーみたいなものをお互いに発していて、何らかの交流をしているらしく、 それが人間の心とか脳の治療に良いらしいということであるから、孤独とか愛についての感度とか、能力について言えば、人間の脳はイルカに劣ると言えるかも知れない。 イルカは手も足もなく、衣服も着ていないので、オールヌードであるにもかかわらず、異性を見てマスターベーションをすることも出来ないのであろうから、 これはもう、常に精神的に「愛し合う」しかない生きる道具かもしれない。 そうして考えながら、イルカなどの写真を見ていると、なんとなく心癒されるし謂れのない、孤独感とか、誰かを攻撃したいという欲求や被害者意識も消えていくような気がする。 つけ加えておくなら、最近の研究では、人間の大脳皮質の右半球では「うつ感情」が発生し、左半球では「楽天的な感情」が生じると言われているので、モノを言葉で書いている(論理的)に、考えたり書いたりすることは、 左半球的と言えるので、少し楽天的になると考えられる。 何故なら、論理的思考や、言語機能は、左半球が優位であるからである。 そう考えると、うつ感情というのも、 正常な人間誰しもにあるもので、イメージとか、言葉とか、情緒的なものは主に右半球的であるので、これらの発達した人、もしくは、それらの状態になりやすい人というのは、うつ感情がでやすい、ということになる。 この辺の研究はまだまだこれからで、本を読んだり、スポーツをしたり、瞑想をしたりというのは、これらのバランスを整えるらしく、うつ病にも、楽天的にも、ノーテンキにもなり過ぎず、 ほど良いクールさと、ほど良い情感の豊かさを維持するのに役立つと思える。 「私はうつ病なんかじゃない」と威張っている人がいるが、これはチョッと違うような気がする。 そのような人は、右脳(半球)の機能低下の可能性があり、情緒とか、イメージ力とか音楽について、少し弱いかも知れないと普通考えてしまうが、 これは全く逆で、うつ感情の強い人の方が、情緒豊かで、過去のイメージ、記憶に左右される傾向があるが、どちらかというと左脳優位のロジカルシンキングを心がける人の方が、得てして情緒豊かであり、音楽や芸術やイメージに強かったりするので、 どちらかと言うと、やはり、 論理的思考(ロジカルシンキング)をよくできる人が、 情緒の豊かさをコントロールするという考え方のほうが、理にかなっているし、脳の使い方の理想ではないかと思える。 というのも、うつ病傾向の人は、優しい、情緒的な人が多いような気がするので、私は「うつ」ではないを、断固として言い立てる人には。少し恐れを抱くことがある。それは、先述した左右の脳の働きを思えば、理解されると思うが、人間はもともと、うつ感情を生じさせる「脳」を持っていて、それと同時に「楽天脳」も持っているというワケであるから、健康な脳にとって大事なのはそのバランスということになる。 ある種のうつ病の治療については、 音楽やテレビや映画などより、より論理的思考を要する読書や日記やスポーツのほうが、有益であろうと思える。 ストレスバリバリの仕事を終えて、お酒を飲みながらテレビを見て、ゴロゴロしているのが一番イケナイような気がする。 夜一時間ばかり、NHKのドキュメント番組を見たところ、暫くアタマがいつものように働かなくてマイった。 どんな感じかというと、何となくまとまりが無く、アタマの整理に時間がかかるという感覚であるが、これは久々に観たテレビのせいではないか、と思う。 何となく重い気分もこのコラム書きに一気に霧散してしまった。 ありがたいことである。 カムイ外伝とか、上記したような一連のドラマの主人公の心は、 どちらかというと、左半球優勢の論理的思考能力を中心に据えて、孤独にクールに生きているように思えるが、その心の深いところでは、愛に飢えて、地獄のように淋しくてタマラナイと言った、情感豊かなものを押し殺して、論理的に心にケリをつけて納得しながら生きているというのが、実相に思える。 イルカとか、クジラとかと違う、人間という生きモノの苦しみの根源には、そのような、脳のハタラキのバランスの取り方の不具合にあるのではなかろうか・・・と思える。 ありがとうございました。 |