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■ 「クスリの闇」 | 2009. 9. 7 |
このようなタイトルの記事が宝島という雑誌に掲載されていたので、本屋さんで少し立ち読みをさせていただいたのであるけれど、まぁ何というか堂々と根拠のない嘘が書いてあったので、色々と他のコラムの題も用意してあったのであるが、早々と筆を取ってこれを書いている。 内容はというと、たとえば処方薬というのは言うならば「人体実験」であるとか「クスリの横流し」であるとか「多剤処方は儲かる」とかいかにももっともらしく嘘をならべたててあって開いた口が塞がらない。 ついでにお医者さんの多くは「薬の処方について、何らかの後ろめたさを持っている」という風に書いてあって、それは50%か60%かの割合であって、これにはあまり驚かなかったのであるが、このことについてもいくつかの持論を書き記しておきたい。 確かにこのクスリの処方については、製薬メーカーやその筋、たとえば厚労省とか学会とかエビデンス(証拠に基づいた)医療とかの推進とかで多少お医者の方も踊らされているキライはあるようだ。 製薬メーカーも新薬でないと高い薬価、所謂公的価格をつけてもらえないので、経営戦略のひとつとして新しい薬をドンドン開発して売り出すという方針を取らざるを得ないところがあるが、これは実は大変な問題を含んでいるのであるが、このことについてはだれもあまり触れないし言い立てもしない。 そもそもおクスリというのは自動車や電気製品と違って新しければ良いというモノでは決してないのだ。 電気製品や自動車だって古いほうが良いということがいっぱいある。 たとえばパソコンの新しい機種など出ると、古いソフトがゾロッと使えなくなってしまったりするので、個人的にはワザワザ昔のタイプのパソコンなどを中古で買っておくという風にしているが、最新型の自動車などでも一番困っているのが昔から買い集めていた講演のカセットテープなどが聞けないというものである。 今はCDとかがあって音も良く一見便利そうであるが、実は車で聞く場合カセットの方が使いやすいところが結構あるのだ。 CDというのはチョット傷がつくと殆んど聞けなくなってしまうのでその扱いには物凄く神経を使うのであるが、その上サイズが大きくてカサばるので小さい車の中での操作にはイライラさせられることが多い。 昔のカセットテープなど、その辺に投げ出しておいても聞けなくなる程傷むことは滅多になく、保存に気を使わなくて良いのでカセットデッキを最新型の高級車などでも登載して欲しいものであるが、MDと称する音楽用の、主に録音に使用する再生機械がつけられているけれど、だいたい音楽を録音して楽しむという時間もないし、車の中では音楽よりも勉強用の講演テープなどを主に聴いているので、人に勧められるまま買ってしまった国産高級乗用車には少しガッカリさせられている。 話がそれてしまったが、クスリの場合も昔の良クスリは医療用のそれに限って言えば、ドンドンなくなっているのである。 誠に嘆かわしいことである。 音楽でも芸術でも文字でも古いモノ程実は良きモノ、素晴らしきモノが多いという原則があって「古典」とか「クラシック」というジャンルは確かに歴史の風雪に耐えて生き残った素晴らしいもの多いと思えるがいかがであろうか? 一方おクスリの分野でも、たとえば薬局で売られている「正露丸」というおクスリなどは下痢腹痛のクスリとしては市販薬の最高のもので、他には「救心」という昔からの心臓のクスリもあって、今でも良く売れているらしい。 それなのに医療用医薬品については今でも「正露丸」や「救心」に近い存在のクスリが実はいっぱいあるのに、先述したような製薬メーカーと厚労省の決める薬価の関係から古いクスリは儲からない、採算が合わないという理由で「古くて良いおクスリ」はこれまたドンドン切り捨てられて製造中止になるものが多い。 「シャックリ」という症状に極めて有効であったビタカンファーという注射薬も10年前に製造中止になって「シャックリ」のつづく人が来たらどうするのであろうかと思うのであるが、この「シャックリ」の治療なども地元の総合病院では麻酔までかけて「止めた」というハナシもあったりして驚くが、当科ではビタカンファーという昔からの注射を速注することで大概アッサリと治ってしまうので、そんなに困っているのかと当時は疑ったものである。 他にも耳鳴のクスリとかめまいのクスリとかの中にも極めて著効を示す古いおクスリがあったのにこれらも全て製造中止になっている。 一体行政もメーカーも学会も何を考えているのであろう。 そのような趣旨であるなら確かに「クスリの闇」であるけれども、この「宝島」の記事はそういうものではなく実にケシカラン内容であったので少し反論してみたい。 昨年は結構重いうつ病で治療していた患者さんで、約4人の方々が妊娠をされたのであるが、皆さん無事に出産されて健康な子供を持ち、ご夫婦でシアワセになって現在は服薬もなさっていないが、これは全くもって嬉しい限りである。 「患者さんの幸福を第一の目標とする」 というのが我が医療施設グループの理念であるので、これは事務スタッフから看護師さん、介護士さんも含めて割合徹底して周知してあるので、このような患者さん達の慶事などみんなで大喜びをするワケであるけれども、この患者さん達は皆さん実は多種多剤の服用者だ。 これは何故多剤投与をするかというと早く治したいのと、薬物依存を避けたいというただその一心だけであって「儲けよう」などというさもしい考えは毛頭ないし、いつも看護師さん達にも薬剤師の先生にもお伝えしているのであるが、患者さんの為にならないことは決してしないようにしているし、余計なクスリなど全く処方していないので全く持って自らの良心に照らしても看護師さん達や他のドクターに対しても恥ずかしくない処方をしているつもりである。 モチロン自分の無知によって処方についてのマチガイがあってはと色々と調べたりするのであるが、この記事にあるように、所謂「後ろめたさ」というものはなく、そういう意味ではいつも晴れ晴れとした気分で仕事をしている。 ついでに「クスリで儲ける」というのは今の医療制度では結構難しいことであって、そんな面倒なことは考えたくもないし、良心の呵責にさいなまれたくもないので、ひたすら患者さんの治療、幸福、長寿を胸に処方しているので、この雑誌のような「闇」などという感覚は殆んど全くない。 ただし、薬屋さんの示す処方の仕方、たとえば業界用語で言うところの第一選択薬とか第二選択薬とかの決め事は実は製薬会社とそのスジの方々で勝手に決めたタワゴトではないかと斜めに見て、決して妄信しないようにしている。 だいたい誰がどのようにして決めたことなのか、その処方方法の根拠を知らされていないので簡単に信じるワケにはいかない。 あの日本国憲法ですらマッカーサーの部下のケーディスとか言う大尉の身分の軍人が日本人の人妻と不倫しながら書き上げたものなのに、何か金科玉条のごとく一部の政治家やマスコミの人々が後生大事にしていることが余程おかしくてならない。 だから「業界」も勝手に決めたことなどには半分暗い耳を傾けながら慎重に処方しているのであるけれども、件の雑誌の記事の内容というものは、もっともっと程度の低いもので、たとえばSSRIは攻撃性が増して危険だとか、犯罪者の何人かはそれを服用したことが原因で犯行に及んだなどというようなデマカセを堂々と書いているので全く呆れてモノが言えない。 本当は反論するのも面倒臭いのであるけれども、ひとつだけ述べておきたいのはこのような話が出てくるのには確かに医療者の側にも責任があって、それは医療業界とか製薬業界とか厚労省を中心とした監督官庁というところのつくり上げた諸々の制度についての国民の健康を守る側の代表としての医者の意識の低さ、もっと大袈裟に言えば国民一人一人の健康と幸福と福祉についての高い倫理感というものがあまりない為に生じた油断によって起こった制度上の欠点が中心的問題なのではないだろうか・・・と考えている。 医療というものは国民の為のものである。 決して製薬メーカーや医療供給者を儲けさせるものではなく、それを事業として正常に運営させる為には、たとえば「正露丸」や「救心」などに匹敵するような昔からの良いクスリにはそれに見合うだけの高い価値づけが必要と思えるし、メーカーの新薬開発競争も一定の制限をかける必要があるのではないか。 要するに不易流行と言って変えてイケナイものと、変えなければイケナイものとの見極めが今最も必要なのがこの医療業界と製薬業界と行政なのではないのではないだろうか・・・と思う。 ありがとうございました 濱田朋久 |