コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 自殺について2009. 9. 4

社会から大変な顰蹙を買った本で、自殺の方法をことこまかく記述してある「自殺の進め」というのがあって、この著者の言によれば「この生きにくい苦しい世の中、死ぬ権利くらい大事にしたい云々」みたいな趣旨の内容であったと思うが、一方でジョンズ・ホプキンス大学精神科教授ケイ・ジェイミソンという女性の著書で「生きるための自殺学」−新潮文庫・亀井よし子訳−というのと、東大医学部卒の精神科医・加藤忠史先生の「双極性障害」−ちくま書房−という本を読むと、自殺をする人々の心の苦しみがヒシヒシと理解できて、一般の人もお医者さんも看護師さんもそれぞれまじめに是非読んで欲しい著書のひとつである。
日本という国は先進国でも最も自殺の多い国であるけれども、不思議なことに主な自殺の原因疾患であるうつ病は欧米諸国よりも少ないらしい。
国民性とか風土とか文化とか遺伝とかもその原因として上げられるが、何よりも子育てのありようが異なるからではないかと想像している。

欧米の文化であると、子供は幼児期に親と離れて寝るらしく、これは映画のシーンなどでも良く見かける光景であるが、子供部屋にむりやりに寝かされるカワイソウな子供が出てきて驚くが、日本だと親子は川の字になって漁港にならぶマグロのようにズラ〜ッと親子が並んで寝るのが普通であり、この寝るスタイルというのは普通マチマチで筆者の友人などは一人息子で、大学生になっても両親の間にそれこそ川の字に寝ていたそうである。
想像どおりこの友人の精神的タフネスは素晴らしいものがあり、人生の中の数々厳しい難局や困難に当たって少しも挫けることもなく、ひるむことなく生きておられ誠に羨ましい限りである。
筆者などは彼のような状況にあればトックの昔に自殺していたかも知れない。
先の「睡眠障害」のコラムでも少し触れたが、筆者自身の心の成長(?)や生活ぶりをクールに客観視してみるとやはり軽度の「うつ病」ではなかったかと思えるフシがいくつか散見されるので、この友人のような育ち方をしたならば少しは人生も荒れずに平穏に過ごせたかも知れない。

患者さんの自殺の経験は27年間の開業医時代の間に男性の老人が二人と、中年の男性が二人と、若い女性のそれが一人である。
この中でも当然ながら老人の場合、家族も周囲も割に淡々としておられたが、計5人であるので5年間に一人の割合になるが、多いのか少ないのか不明であるけれども、心療内科を標榜してから患者さんに「心の病気」の人が増えたワケであるので若干多くなった気がする。
5年が3年くらいになったカンジである。
若い女性の患者さんの自殺は本当にコタえた。
半狂乱というか一瞬パニックになりそうであったが、医者がウロたえるワケもいかず、警察やら家族への対応をしながら少しずつ落ち着きを取り戻したのであるが、意外にいつもの冷静さを惹起してくれたのは警察による事情聴取というヤツで、別に取り調べを受けるワケでもないし、亡くなった患者さんの心の遍歴を逆に警察の人から知らされる結果になり、ウカツにもこのような「事情聴取的」な口説口説しい尋問風な質問というものが患者さんの背景を知る上でとても大切であることをあらためて悟らされてマスマス自分の力量不足と油断に対して腹立たしいイラダチや落胆を禁じえなかった。

これからは多少嫌われても良いから有能な警察官のように尋問をして本人や家族からいろいろ聞き出さねばならないと自戒反省しているところである。

それども「心の病気」の人の自殺をとめるのは至難の業である。
そもそも本気で自殺しようとしている人はもう既にそれを「決心」していることがあるのだ。
いわゆる「覚悟」という性質のものを心に秘めている。
治療の段階で「よく眠れるようになった」とか「食欲が出て来た」とか「元気になって来た」というのは実は自殺決心者にとっては実行のチャンス到来であり、家族や医者や看護師にとってはそれは明らかな危険信号なのである。
そうしてその決行というものも実に巧妙に周囲の人々をあざ笑うかのように虚をついて、フイをついて、突然にサラリと決行されるのだ。

こういう状況を誰が理解できよう。
誰が予測できようか!?

このあたりの苦悩を件のK・ジェイミソン女史はセツセツと著書に書き連ねておられるが、日本人の書物でこのような研究についてのものは巷間に出まわっていない。

いまだに自殺の原因は?、動機は?と問う人が多い。
このような質問は多分にマスコミ的で最近は警察の方がこういうケースが多い為か、割にクールに動機なし!、心の病気という風にスンナリ理解してくれて或る意味有難い。

本人のメールとか交友者・友人などの言や、異常な行動を知らされるといくらそれが苦い自死であろうと心の苦悩というものがかなり幼い時から恐らく12〜3才くらいかの生来的な本能とも呼べる程の死への欲求であり、実のところ潜在的にはあらゆる人間に程度の差はあれ存在している「死への欲求」を多くの人々に知らしめるかのように或る個人の生命というものを使って社会に警報を鳴らしているかのように堂々と、晴々と自殺を決行するのだ。

ジェイミソン先生の著書をいくら読み込んでも「自殺をとめる」特効薬とか特効心理療法というものは出て来ない。
極論するなら、その自殺をしようとするその両手を年がら年中誰かが握っておくしか無いのだ。
あるいはかなり暴力的ではあるが、犯罪の容疑者のようにヒモになるもの、たとえばベルトとかネクタイとか刃物とかをその個人から取り上げて独房に閉じ込めておけば良いと思うのであるが、そんな乱暴なことは常識的には不可能であるので周囲の生き残った人々をいかに癒やすとか納得してもらうかとか誰にもとめられなかったかも知れないし「誰のせいでもない」ということだけは理解してもらうようにしている・・・。

自殺を誰かのせいにするというのは精神的な安定の為に、或る意味簡単なことなのであるが、自殺した人が復讐心で実行したのであればそれは成功であるけれども、そのような事例をゆるせばイスラム教徒の自爆テロみたいに復習を目的にする自殺があったり、以前映画化もされた渡辺淳一の流行小説「愛の流刑地」のように「愛する人を自分のモノにする為に巧妙に自殺する」というストーリーが出て来て、社会的な被害はとても甚大であるように思える。
残された人々にとっては「精神的無理心中」という感覚であるかも知れない。
周囲に一生癒やされない「心の傷」を負わせるかも知れない行為としてならやはり自殺はあきらかに悪いコトなのである。

また多くの不慮の事故や死に至るカラダの病気ですらも、その潜在的心理状態というものが、所謂「自殺念慮」と呼べなくもない程度に消耗して極端な生きるエネルギー低下に陥っているという研究もあったりして「心の世界」の暗黒の深海を想起させられて不気味である。

ありがとうございました
濱田朋久


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