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■ 選挙 | 2009. 9. 3 |
大方の予想どおり民主党の圧勝であった。 相変わらずTVや新聞を中心としたマスコミから意識的に遠ざかっているので、この結果はやはりとても奇異に感じる。 というのは自民党と民主党といった場合、所謂マニフェストについて言えば確かに民主党のそれは大衆の欲望を刺激するもので、こと選挙の戦略としては分かりやすく目新しいが、それで果たして政治というものを任せて良いのであろうか? 民主主義というものが世界中の殆んどに行き渡り一般化してしまい、人々はそのことに、つまり国民が選挙をして選んだ人を政治家として国家の中枢部、つまり官僚の世界の支配者として送り込むというシステムについて何の疑問も抱かなくなってしまったが、選挙というものの本質はそもそもただの人気投票であるのだ。 人気投票と言えば、小学校のクラス委員の選出の方がまだマシ、その人を直接に知っているという点で、人気よりも何かしらの人望とか人柄とか人間としての重みみたいなものを参考に、ほぼ直感的に或る人物を選ぶのでその正当性というか、納得性みたいなものが結構高いように思える。 一方、国政の選挙の場合、その出馬した人物の殆んどをテレビや雑誌や新聞でどうしても知りえないので、その実像よりもマスコミという媒体を通して得られた虚像の方を参考にするしかなく、何となく世の中のムードでその人に投票するのであるから、マスコミの意図的な操作というものの影響を強く受けてしまって、ついつい「或る党」や「或る候補者」にその一票を投じてしまうのではないだろうか。 筆者なども本屋などに行ってツラツラと雑誌などを眺めてみると、殆んど今回は民主党優勢と感じたのであるが、その根拠というのがその代表である鳩山氏の特集記事が目立って多くなり、さらにはその写真や「政権交代」とか「愛のある政治」とか小沢前代表のスキャンダルとか、いずれにしても民主党を話材にした内容ののものが誌面に踊っているという一方で麻生氏の扱いはいかにも不人気で無能でチョンボでみたいなマイナスのイメージのものをチョコチョコと流してあって、何となく不公平であるなぁという印象を持っていたので、実際の選挙の前にマスコミの予め選んでいたのは「民主党」であり「鳩山由紀夫」であったように思える。 これに先立つ3年前。 まだ麻生太郎氏が総理大臣候補でも何でもなかった時に或る雑誌で麻生太郎特集の記事が載っていて、その出自やら生い立ちやらなんの脈絡もきっかけもなく唐突に掲載されていたので、直感的にこの人物が次の総理大臣かと思っていたら案の定その2年後にはシッカリ総理の椅子に座っておられたのでマスコミと政治との関係というものの底が知れたような気がして少し不気味であった。 そんな風に世相というものをテレビという音と映像の媒体でマスコミが意図的につくり出せるようになったと仮定して単純すぎる程単純に読み解くと「ナ〜ンダ、ソンナコトカ」みたいに手品のカラクリを知らされて少しガクッと来たような感覚を抱いている。 以前、小泉政権の時にその人気を支えていたのはテレビではないかと思えるフシがあって、毎日毎日件の総理大臣がいたくリラックスした物腰でテレビカメラ前に立ち、例の「ワンフレーズ・ポリティクス」を短く耳触り良くのたまって、カメラの前をロマンスグレーの長髪の颯爽とした痩身を横切らせると、視聴者は完全に洗脳されてこの人こそわが日本国の総理大臣にふさわしい人物であると思い込んでしまい、かねてより念願(?)であった「郵政民営化」を実現させて、国の財産を解体して売却しやすくするとサッサと政界から身を引いてしまった。 実のところ彼の方はプライベートでもバツイチの独身であり、かつて小泉旋風を巻き起こした盟友とも言える田中真紀子氏が外務省のスキャンダルで全く周囲に苛められていた時には全く救おうともせず、簡単に更迭してしまうような冷血漢であったのにもかかわらず、当時の庶民の人気はまるで芸能タレントのソレのように高く、少し分析的に見ればこれほど怪しい人物はいないと思えるが、まるでマスコミに守られているかのように高い支持率を維持したまま政権を譲って、今ではメデタク引退をされておられるようだ。 今回、日本国の政権を担当することになった鳩山氏などこれまた今批判の的になっている二世議員そのものであり、実弟の自民党議員で法務大臣であった邦夫氏の場合、死刑執行をカンタンにドンドンとやってのけ、某人気タレント飲酒全裸事件では人非人のようにけなして、狂然たる一般国民の非難を浴び、実父の鳩山一郎氏にいたってはフリーメイソンという世界的な自由と博愛を旨とする秘密結社のメンバーとして当時の新聞を賑わせた人物で、ご本人の由紀夫氏もその配偶者は米国在任中に知り合った人妻との大恋愛の果ての、謂わば略奪婚であり、このようにスキャンダラス述べ立てると筆者ですら大衆暴露雑誌の三文記者のように思えて、少しく恥ずかしいがこの度はメデタク政権を奪取し、自らが総理総裁として国政の担い手になられたのであるけれども、どうも解せないのは今回もやはりいつものようにマスコミかそれらをあやつる何者かによってつくられた総理大臣なのではないかという疑惑感を感じて「やっぱりそうなのか」という気分に浸っている今回の選挙結果であるなぁ〜ということを書いておきたかったワケである。 政治というのは政事(まつりごと)が語源であるそうな。 神の前で祭事(まつりごと)をしてご神託を授かり、それをしかるべき高貴な身分の人々が清らかで、純な精神で民に施したのが政治の始まりだそうである。 高貴な人々というと、我が日本国では皇室ということになっているが、形式的には存在しているが実権はなく、その実務は選挙に選ばれた国会議員とか純粋な公務員である官僚とかが担当している。 このようなシステムというものの弱点を一言で述べるならば、衆愚政治に陥りやすいというところであるが、つまり国民の知的レベルを押し下げることで最近はこの傾向にマスコミが拍車をかけているように思えるがいかがであろうか。 所謂「国士」というような憂国の人物というのは最近では三島由紀夫以外に思いつかない。 同じ由紀夫さんでもエライな違いに思える。 ありがとうございました 濱田朋久 |