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■ 賢か愚か | 2009. 8.24 |
医者という仕事をしていると、自分は愚者であってはならないと常々自戒していたが、日常生活や人生全般においては賢者が幸福で、愚者が不幸かとは言い切れないことも多いことに気づかされこれを書いている。 勉学における競争であると、これは明らかに賢い人やアタマの良い人に有利であるけれども、先述したように人生全体の流れを眺めてみるに必ずしも正比例をするワケではないように思える。 教育者や国会議員や、有名歌手や大女優、大タレント、有名社長など、壇上に登って人に話をするような立場、職業になると皆さん一様に人から「先生」と呼ばれてカタチとして崇められる。 このような立場になると、賢い人、知恵知識の豊かな人、言葉の巧みな人というのが尊敬され敬われる。 つまり、所謂「先生病」になって、人の教えるばかりでチットモ学ばなくなる。 「教育」というのはひとつの「おしつけ」であるし「しつけ」でもある。 つまりこの二つの言葉のニュアンスのとおり、それは「押さえつける」「強制する」「価値づけする」という響きがあり、またそれこそが「教育」の本質であると考えられる。 逆に言うと「おしつけない」教育などありえないと言える。 ある理念や考え方、価値観やカタチや作法というものを、それを知らない人にどんどん「おしつけて」行く作業を「教育する」といっても良い。 そこで、こういう教育する立場にある人々を「先生」という風に呼称するワケであろうけれども、先生たちもまたかつて明らかに無知で愚かな学び徒であった筈であるのに、時々はその教育する立場に登った途端に、急に「エラク」なってしまい、少しも謙虚に人から学ぼうとする気分や気配が全くなくなる人物を見かけるが、これを称して「先生病」という風に個人的に呼んでいるのであるけれども、これらの人々は「私は何にも知らない愚かな人間ですからどうぞ何でも教えて下さい。」という良い学び徒としての心構えがなくなってしまい、自分は賢い何でも知っているというような、傍からみれば狭量で視野の狭いバカ者のようになってしまうことがあるようだ。 昔の偉い人は常に良き学び手であれと人々に述べておられるようであるが、それを一言で表現するなら「謙虚」というものになる。 「へりくだる」といっても良い。 或る意味カタチとして愚者になると言っても良い。 物凄くアタマの良い立派な人がこれらのカラクリというか、人間というものの性向を知ると、時に応じて賢者にも愚者にもなれるし、主にまるで愚者のように言動しふるまい、その実は本性として素晴らしい賢者として人々に良い影響を与えつづけ、また死ぬまで学びつづけるというような生き方をなさるようである。 「先生と呼ばれるほどのバカじゃなし」 という諺があるが、このあたりの特徴を上手に言い得ていて妙である。 医者や教師を含めてどんな知識人も識者も、先生と呼ばれる人々はおしなべて時々ワザとバカ(愚者)にならなければならない・・・と思える。 ヤル気満々のバカは行動力抜群である。 グズグズ考えて逡巡するような人間は軍人であるなら全く通用しない。 「突撃〜」とか進軍ラッパとかでもイチイチ考え込んでいては戦争など出来ないであろう。 上官の命令のもとただちに、反射的に行動を起こすのが良い軍人の、特に下士官以下の兵隊の望まれる第一の気質であるので、軍隊というところは行動力のある「バカ者」養成集団と言っても良い。 これは軍隊に限らず、あらゆる集団や組織や宗教団体や企業においても同様で、それが最も顕著であるのは暴力団とかヤクザとか、お笑い系タレントの集団とか右翼団体とか体育会系の学生やスポーツ選手、特に相撲取りの世界などである。 以上は極端な例であるが、一般人の私達の生きる社会でも、ごく個人的にも少なくとも表面的だけでも賢者であったり愚者であったりすることの利点と欠点をよく理解して、それらの表現を上手に使い分けることのできる人を真の意味の賢人と言えるのではないだろうか。 「先生病」にならないためにも、行動の全くない、学びのない、言い換えるならば全く成長のない人間になるより、謙虚で素直で愚かなフリのできる人であれば、豊かな人間性を持った素晴らしい行動力のある人物として周囲から尊敬を受けるであろうし、謙虚で学びの深いと一目置かれるにちがいないと思われる。 医者や学者や、その他の多くの「先生」たちにお伝えしたいことは、賢者ぶるのも賢者でいるのも一向に構わないけれど、そうあると軽蔑されることはあまりないかも知れないけれど、未知なこと、新しいことを「学ぶ」チャンスを失うことも多いかも知れないし、のびのびとして面白おかしい豊かな人生を体験し損なうかもしれないと思える。 愛すべきバカと嫌われるバカ この二つの差というもののひとつは、その素直さ、謙虚さ、プライドのなさが前者であり、頑固で傲慢、高慢で自尊心のカタマリのようなバカが後者であろうと考えられるので、自分が「先生」でアタマも良くシャープな頭脳をお持ちであるなら逆に思い切って「バカ素直」とか「素直バカ」のようにふるまって人々の人気と親愛を勝ち取って人情味あふれる豊かな人生を送ることができるかも知れない。 繰り返すが、 @賢者ぶっている愚者(リコーバカ) A愚者ぶっている賢者(バカリコー) とで比較するならば、真の賢者というのは後者の人々である。 そしてその心情の格の差は天と地ほどちがうのであるが、その性格、気質、考え方、心構えの差で言えばそれはただ「謙虚」さ、「素直」さ、「学ぼうとする心の姿勢」の差であろうと考える。 ありがとうございました 濱田朋久 |