コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 離婚相談2009. 8.22

このような願望を持って、気軽に人に決して相談をしてはイケナイ。
たとえ相手が「専門家」と称する、たとえば弁護士さんであるとか身の上相談を生業とする「占い師」さんであるとか、あるいは親兄弟などの身内や親族であろうとか、ありとあらゆる人の相談する時にはよくよく相手を選ばなければロクな助言をもらえないどころか、事態の悪化は必定であるので、こと「離婚相談」については基本的に「しない」ということ原則とした方がよろしかろうと思える。
これはどんな悩み事であれ、言えることであるが、こと結婚・離婚問題についてなど、特に人間の心のあさましさ、みにくさ、愚かさが露わになるので、或る意味面白いのであるけれど、どんなことがあっても相談は差し控えたい。

例を挙げるなら、まず友達へのであるが余程用心しないと心のウチでは「ザマアミロ」なんて思うオトモダチもいたり、所詮「他人事」であるので、いかにも親身になって「相談に乗って上げるヨ」なんていう人物ほど注意してかからないとトンデモナイことになる。
それは、例えば世間の噂や中傷の的になったり、親族や所謂ステークホルダー(利害関係者)にそれが広まった時に、信用を失ってしまったりして大変なことになることが往々にしてあるからだ。
そもそも友達など、本来なんのアテにもならないものなのだ。
殆んど利害関係の無い人に相談しても「公平」に「平等」に判断してくれるということは殆んど全くなくて「ソーヨ、ソーヨ」「すぐ離婚した方がイイヨ」などと勝手なキワメテ無責任な意見を述べ立てて、それ(離婚という不幸、もしかして幸福かも知れないが)を煽って喜ぶ悪いトモダチなど、世間には山のように存在する筈である。

ヘタなカウンセラーとか占い師とかいった、相談を請け負うことを生業にしている人にとってもこれは単なる商売であるので、他人の幸・不幸など基本的にどうでも良い立場の人々であるので、これまた「相手には他にもいっぱいオンナがいる筈ですヨ」とか「慰謝料をいっぱいとれるかもヨ」などとこれまた無責任きわまりない助言や忠告や、ついでにイヤに道徳家めかした余計なお説教までされたりして、本人にとっても相手の男性にとってもその子供や親族にとっても、その人生がメチャクチャになるような言葉ずらを言い立てたりして本当にロクなことはない。
また、親族についても最近ではこの傾向にあるのであるが、婚姻関係にある二人のことを最も心配してくれる筈である実家の両親なども簡単に「離婚して帰って来なさいヨ」「大丈夫ヨ、帰って来なさい」などと娘や息子を擁護する立場に立って、二人の幸福など二の次、三の次であるような自分勝手な都合や欲求に基づいて意見をの述べる人々もいたりして、これもまた少しもアテにならない。
また、意外に注意しなければならないのは裁判所の調停員とか弁護士さんなどへの相談なども結構いい加減である。

調停員の人というのは、謂わばボランティアであるのでまだ良いが、弁護士さんなどは、これはもう明らかなビジネスであるので、お金になることであるならばそれがどんな理不尽で不道徳で、時には相談者にとって不利益であろうとも、つまり不幸のドン底に陥れるような離婚の相談であっても割と簡単に引き受けて自分達の商売の種にしたりすることも多いし、また裁判所というところですら「二人」の幸福や不幸など全く考慮もせずに、それらの離婚相談をテキトーに裁定して悦に入っているというケースも少なくないように思える。

そもそも他人の幸や不幸など、これらの友達から或る程度の専門家とかエライ人のレベルの人々にとっても全く本質的には「どうでも良い」ことであるのだ。
それらの「公人」であっても、今は世の中の公序良俗を守ろうとする意図や意思を持った人々は極端に減ってしまい「他人の不幸は蜜の味」みたいに感覚している人々が世の中にやたらに増殖しているが、これは結構嘆かわしいことであるけれど、そのような時代・事態であるというのが今の社会の姿である。

昔は「世間の恥」という感覚もあったり、「仲人」さんという人や、本当に親身になってくれる人がかなり多く世の中に生息していたのだが、マスコミの影響か社会全体の風潮の為か、他人の幸福について「無責任」な人がとても多くなったような気がするので、自分の離婚問題も含め悩み全般については是が非でも相談したいと言うなら、その「責任を執ってくれる人」に対して、その相談を持ちかけるべきであり、次にはそれぞれの利害関係者に相談するべきである。

いくら専門家と呼ばれている人でも決して簡単に信用してはイケナイ。
このような一身上の重大問題については、自分の心によく問うてみて、どんな状況や困難な事態でも絶対に助けてくれる人は一体誰なのかをよく深考・吟味・判断して「その人」にまず相談するべきである。

このように深く考えると、やはりその相談相手というのは「当事者」同士が一番であろうけれども、それは何故かというともっとも深い利害関係者であるばかりでなく、お互いに対する責任という意味でもお互いがお互いの「相談者」であり、「相談請け負い者」であるというのがこの離婚問題についての正しい解答、幸福な解答ではないかと思える。
家庭裁判所というようなところも、これを安全に円滑に促す施設であると思えるのであるが、今はどうもそのような夫婦一族や社会の幸福を促進するようには動いていないように思えるので、とても不思議な感じがする。
それは離婚願望を持った女性が取るべき選択肢として最も賢明な行動とは一体何であるかというと、まず断言できることは自分の幸福を第一によく考えることである。
そして、自分の子供や配偶者(相手の男性)の幸福を考えることである。
これら自分を含めた三者についての幸福の願いを、祈りを持って積極的に深考した場合には殆んどマチガイのない選択をすることができるのであるが、大概の場合幸福についての考え方が皆さんとてもマチマチであるので結構判断マチガイをして、ついでに相談者選択をマチガエて、結論をマチガエ、最終的に不幸な結末にいたることが多いようであるが、これらをうまく克服して幸福への道を選択するする人々というのは一見はイバラの道に見える「無償の愛」の道を選んだ人であったり、一時の感情や欲望を捨て去って恬淡としている人々に、その素晴らしい判断や決断が起こるようである。

まずは、自分を信じ、配偶者を信じ、自分たちの本来の幸福の招来を信じ、ゆめゆめどうでも良いような責任のない、もしくは執れない人々に決して相談をしないことであり、また自らの離婚願望についてもよく検討をし、それが生理的な嫌悪なのか感情的なしこりなのか、欲望の果てなのか、経済的なものか、健康上の問題なのかをまずよく考えることである。
もし、生理的に相手がイヤというのであれば、これは殆んど解決が難しいのであるが、これすらも結婚というもののカタチを実質から形式にシフトすることで上手に回避することができるかも知れない。

このように書いていると、筆者がいかにも離婚は良いですヨという風に述べているように読まれる読者の方もおられるかも知れないが、それは決してなく、要はそれぞれの個人の幸福に焦点を当ててみてはいかがであろうかと提案しているだけである。
ご参考までに・・・。

ありがとうございました
濱田朋久


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