コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 女性の結婚願望について2009. 8.16

こういうものを持つと大概結婚できない。
少なくとも渇望するとできない・・・ようだ。
結婚というものは普通の状態では性的エネルギーと親への反発心と自立心と、それらの複合している混乱した主に愚かな若者同士の激しい衝動によって生じたひとつのアヤマチであって、決してそれは成熟した賢い大人が考え抜いた末に成立するものではない。

であるので、一般的に結婚は20才前後の男女に起こりやすい。
それを過ぎると「結婚したい」という欲求は潜在的に残されるものの、仕事やら趣味やら種々の遊び事やらで忙しくアッという間に20代を過ぎ30代に突入してしまう。
これはいかにも結婚に適した、美しく、賢く、魅力的な男女ほどそのような経過を辿ることが多く、どちらかというと器量の良い女性ほどいわゆる婚期を逃してしまうことが多い。

だからとても美しく、若い(つまり20才前後)女性の場合、親や周囲のお節介な人々に無理矢理結婚させられるか、大人の「悪い男」に良い意味でダマされてメトラレテしまうかのパターンしかない。

自分の容姿に自信のない女性ほど簡単に結婚してしまう事が多いけれど、これも「若さ」と「愚かさ」、「未熟さ」などが備わっていなければならず、この逆の老獪でズル賢く成熟した男女とも何となく考えすぎて、選びすぎて迷ったあげく結婚もしないで30代、40代と過ぎてしまう傾向があるようだ。

結婚願望などを持つのはかまわないが、それよりも自らの「愚かさ」と「性的衝動」を磨く為に多少「ヤンチャ」であることが望ましいのであるけれども、これまた年令と共に性的魅力の高まっていく女性のケースでは、結婚というアヤマチが何となく未遂に終わってしまうように思える。

つまり「結婚」という願望を実現する為には、まずかなりおバカの方が有利であり、どちらかというと太っているあまり美しくない女性に有利であることが多い。

けれども既婚の女性というものは、どこかしら結婚をさせてしまうようなムードをたたえているが、それは一言で言うと絶妙な「バランス」というものである。

そのバランスについて説明するのはとても難しいものであるけれども、たとえばそれは限りなく普通というか、変わっていないというようなもので、何かしら男性を安心させるものなのであるが、そのひとつに美し過ぎないとか賢すぎないとか、愚か過ぎないとか痩せすぎていない、トビ過ぎていないとか「男の好み」というものは、コト結婚となると結構古典的というか保守的なものであって、変わったものを好まないそうである。
昔は、特に女性の場合「三高」つまり、
学歴が高い
収入が高い
背が高い
など、男性のそれは逆に作用し、どちらかというと敬遠されると聞いている。

とにかく何もかも普通で平凡である方が良いように思えるが、先述したこともあるが、普通とか平凡を極めると逆にとても個性的な美人となってしまうことがあり、これも説明するのに苦労もするので割愛する。
だから女性の場合、自分を顧みて何かしらの強烈な個性というようなものは、その外見上も内面上も結婚には適さない、好まれないと考えた方が良く、それが自分で欠点を思っていなくても適した方が良いものは修正し、他人から見てどうでも良いような欠点など温存していた方が平凡さを演出するのには好都合であろうと思える。

女性の結婚願望の実現の為には、まずそれ(願望)を持たないことと同時に以下の点に注意すると良いと思えるので参考にされるとよろしかろうと思える。
全て否定形で表現されるが、
1.あまり個性的でないこと
2.変わっていないこと
3.男性に恐れを持たないこと
4.冷たくしないこと
5.美人すぎないこと
6.賢すぎないこと
7.痩せすぎないこと
8.セレブや金持ちでないこと
9.料理や家事が上手すぎないこと
10.英語など外国語をしゃべったりしないこと
11.スカートが長すぎたり、短すぎたりしないこと
12.高級車に乗っていないこと
13.オシャレすぎないこと
14.ブランド品を持たないこと
15.高収入でないこと
16.有名人すぎないこと
17.高尚すぎないこと
18.女性すぎないこと
19.男っぽすぎないこと
20.海外旅行を一人でなどしないこと
などがあげられるが、これは適当に列挙したものであるが、恐らく当たっていると思う。
上記のような傾向の「ない」人は男性に人気がある筈であるが、大概これに
21.結婚に慎重すぎず、多少軽率であることが加わると、ほぼ完璧に結婚という願望は実現される思うがいかがであろうか。

もし強い結婚願望がある人ならお墓参りをすすめる。
結婚などというものは御縁なのであるから、自分が出生した御縁のシンボルであり、霊的な通信基地である「お墓」にお願いをする「願」をかけてお頼りするというのは結構強力な「縁結び」を授けられるのではないかと考えている。

無闇やたらに結婚願望を持って無駄な努力をしたり、闇雲にウロついたりしたとしても、あまり効果的ではなく見当違いに「悪い男」や「どうしようもない男」にひっかかってしまい、悲しい末路に至るかも知れないが、本人が腹の底から覚悟を決めて「男への愛に生きる」と決めたならば、本当は「結婚」という形式などどうでも良く、所謂婚外子でも不倫の相手とか「どうしようもない男」から種をもらってつくってしまえば良く、日本の法律では子供の「認知」という制度があるので、実質上は結婚などしていなくても、その子供の種の主が社会的にも経済的にも男として立派な人であるならば、その配偶者(奥さん)として保護を受け堂々と子供を育てれば良いのであるから、コトは実に簡単である。
こういう野蛮な行動が苦手という人の場合、安定欲求といって人生にとってあまり面白みのない無為な生き方しか選択できないタイプEの人が多いが、これは人生のとらえ方がマチガッている。

もしかして人生が安定そのもので、何の波乱もなく平々凡々と過ぎたとして、その人生に果たして意味があるのであろうかと問いたくなるが、ひとつの人生であっても人類の進化発展や魂の成長に最低でも60億分の1は寄与しているワケであるので、そのような安定欲求というものはさっさと捨て去って、冒険、冒険、また冒険という風に楽しい人生の大海原にワクワクとして躍動する気分と勇気を持って漕ぎ出せば良く、安全な港に一生涯とどまっているのであれば、老いて朽ち果てるまで港にとどまっている船のようなもので、生まれてこなくても良かった人間かも知れない。

結婚は安定でなく冒険なのである。
永久就職とかいう言葉もあったが、これは結婚のある一面を示しているが今のいつ離婚になるかの時代にあっては永久どころではない。
また、就職というなら明らかに何らかの労働がある筈であり、そこには努力や工夫や忍耐が必要なのであって、決して怠惰にゴロゴロしていることを許せられるとは限らない。
モチロンそのような怠惰な生活が可能になるような夫に「就職」した女性もいるかもしれないが、それがシアワセとは限らない。

今は結婚にも色々なカタチがあり、近頃世間で聞かれるのは実質婚というモノで、婚姻届とか無かったり、不倫の関係であっても実質上「結婚している」と同様の状態にある男女がいくらもあって、或る意味社会にとっては少し困った問題であるものの、ごく個人的に見れば純粋な男女の愛のカタチがあるかも知れない。
その男女の間には深い信頼や愛があるのであるなら、婚姻届などの証拠や他人の承認(結婚式)など全く不要と思えるからだ。

ありがとうございました
濱田朋久


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