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■ でぶせん | 2009. 8.13 |
かれこれ10数年前に、一人でパリに大枚12万円を払ってツアーで出かけた時に、地下鉄でクリッシーとかピガールとかの駅で降りて、東京で言うと新宿歌舞伎町みたいなやや妖しい卑猥な街に夜出かけて色々な客引きを避けながら、今でいう大人の店、アダルトショップに入って、とてもカラフルで芸術的なエロ本の圧倒的なエロスと美しさを堪能していて気づいたのであるが、何と明らかに肥満した女性だけを扱った雑誌が全体の20%程もあって、そういうコーナーもあって成程ヨーロッパでもそうかと何となく安心して帰って来たワケである。 筆者が別に「でぶせん」好みというワケではないが、最近の日本人の異常な痩せぶりにはいつも驚かされるので、外国に行くと何となくしっかりした体格の中肉の女性を多く見かけて少し落ち着くというワケである。 中にはジーンズの上からポッコリ出たお腹をなんの恥ずかしげもなくピンクのTシャツの下から出して堂々と歩く白人の女性もいたりしてさらにホッとする。 ヨーロッパやアメリカに行くと、日本人というのはどの人も大概小奇麗で可愛らしかったが、最近では外国に行くと何だか無闇に何のバランスもなく飾り立てて、その上貧弱にも痩せておられるのであまり魅力的に見えなくなってしまった。 そのアダルトショップでもやはり予想どおり「やせせん」のコーナーは無かったけれど、この当たりの男女の感覚のズレというのは一体どこから来ているのだろう。 女性大衆雑誌など見ると、お金のこと、SEXのこと、芸能人のゴシップや皇室の近影などが中心であるが、その広告の中でもあやしいダイエットのサプリメントや「こんなに痩せてどうしよう」というキャッチコピーなどというようなダイエット関係の広告が多い。 その使用前、使用後の写真などを見せられると筆者の感覚では使用前の方が、つまり「太目である」方がはるかに健康的で美しく見えるが、女性の感覚ではそうでもないらしい。 これは筆者だけの感覚と思っていたが、日本の書店で時々立ち読みする熟女雑誌などの、特に漫画を見るとみなさんまるでプロレスラーか相撲取りのように丸々と肥満した女性ばかり描かれているので、日本人の男たちも少なくとも熟女好み人々は相変わらず女性の好みというのは「でぶせん」の方が優勢であるように見える。 女性のみなさんも試しに一度手にとって開かれたら参考になるだろうと思える。 胸とかお腹とかお尻とか、それこそまるまると肥え太ってそれこそ「ブタ」のようである。 西郷隆盛の彼女もやたらに太った女性であったらしく、愛称は「豚姫」だそうな。 モチロン痩せた女性を好む男性も多いが、これらの人はあまりアダルト本などを見ない、ややエロスのエネルギーの低調な」人々ではないかと思える時がある。 気のせいかもしれないが・・・。 先日は「女性は見た目ではありませんヨ」と言い切っていた肥った女性のウエディングドレスの写真が載っていたが、今の日本人の女性の人々の思い込みである。 痩せている=美しい=男性に人気がある というようなステロタイプな図式には少々疑いを持った方が良いように思える。 筆者の知人の中にも、所謂「モテル女性」というのは決して痩せておらず、皆さん殆んど限りなく「でぶせん」に近い太目の方が多いし、「夫に愛されてます」と堂々と言い切る人もまたこの「でぶせん」の方々が多い。 「こんなに美人なのに、私なんで男にモテないの?」と疑問に思われる方は、一度男性向けのアダルト雑誌をチラッとでも見られたらよろしかろうと思える。 確かに痩せた女性は美しくロマンチックに見えることがある。 オードリー・ヘップバーンなど今でも美人の典型として、主に女性たちからは崇められているようであるが、筆者から見ると日本の女優の「小雪」さんのような何の魅力も感じない。 何だか筆者が「でぶせん」みたいに思われるかも知れないが、そういうワケではない。 精神的な不調の為に特に簡単に拒食症になってしまいがちな女性へ少しでも啓蒙になればと思ったのであるが、このような話は痩せ好みの女性や、拒食症の女性には全く「ウケ」ない。 摂食障害と社会現象としての痩せ文化についてのいくつかの論説があったが、この「心の病気」はそうそう単純なものではないのだ。 いずれにしてもデカパイ、デカシリの多少部分的にではあるが、太目の女性は相変わらず男性の人気を得ているが、デカパイについては一部の女性たちにとっていかにもコンプレックスの対象であるようだ。 意外にもデカパイ好みの男性も確かに多いようだが、これはマザコン傾向の強い男性に多く見かける。 「でぶせん」「やせせん」の勝敗は明らかに男性にとっては「でぶせん」の勝ちであり、女性にとっては「やせせん」の勝ちである。 このあたりにも男女の感覚にズレを感じるが、時にはこれが全く一致する場合がある。 これはお互いのエロスの強度と感性が非常に近い場合に生じるようだ。 参考までに筆者の正直な好みを述べるならば、それは「やせ」でも「でぶ」でも構わない。 好きになった人がタマタマ痩せていたとか、タマタマ太っていた・・・というような感覚である。 ありがとうございました 濱田朋久 |