[戻る] |
■ 不登校(2) | 2005. 4.27 |
自分のことで恐縮です。 僕は、子供時代、学校がいやでいやで仕方なかった。冬の寒い朝など学校のある日は、自殺しようと思っていたくらいだった。 みんな良く行ってるなあ〜なんて思っていた。 だから学校に行きたくない子供の気持ちは、少しわかる。 学校をさぼって何度か、町をうろついたこともあったが、昔は(今もそうかも知れませんが)近所の人に通報されて警察に保護され、母親に柱に縛りつけられ、折檻された。 なかなか「不登校」志望少年には、生きにくい時代だった。だから自殺も考えたのでしょう。 自分にとっては、生きるか死ぬかの大問題だったけれど、幸い家が医者で、何かわけのワカラン薬をいっぱい飲まされて、無理やり学校に行かされた。有難いことだ。確かトリプタノールというクスリだった。今でも患者さんに使っている。 今は、「不登校児」という呼称で、社会や家庭が何となく安易に「容認」しているように見える。 今の自分は、無理やり、いやいやでも学校に行かされて、有難く思っている。 お陰で医者にもなれた。 そういうわけで、大学時代は思い切り「不登校」三昧。殆ど学校には、行かなかった。 けれども後半は医学部ですから、臨床実習というのが、あってなかなかサボれず本当に辛かった。医者になってからも仕事に行くのが辛くて辛くて死ぬかと思った。仕事が楽に楽しくなったのは、ほんの4、5年前から・・・。 子供の時からず〜っと、あり意味で「不登校」欲求、「不就業」欲求との戦いだったような気がする。 そういうわけで、安易に「学校には無理に行かなくていい」とは簡単に言えない。 今こんなにシアワセでいれるのは、そんな苦しみに耐えて「学校」に行かせてくれた親や先生やクスリや自分自身のおかげと思っている。 やれやれ。今や52歳。 ありがとうございました。 濱田朋久 拝 |