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■ 医者は何故だまされやすいか | 2009. 8. 3 |
「お医者様」というのは、大学病院とか医局とか師弟関係の厳しい、特殊な事情に満ちた、業界内部ではほぼ虐待に近い扱いを受けることもあるが、こと「世間様」からは大学を卒業したての研修医の時代からいきなり薬屋さんを中心に猛然とチヤホヤされるので、何だか偉くなってしまったような錯覚に陥り「自分で偉く」なってしまう傾きがあるようだ。 この「自分で偉くなる」ということ程、人間として滑稽なものはないのであるけれども、相当なショックでもなければこの心境から脱するのは大変な苦労人でもなければ結構厳しいものである。 中には結構メチャクチャ謙虚に振舞う賢いセンセーもおられるが、全てではないがその本性たるや鼻持ちならない。 傲慢人間だったりしてナカナカ人の判断というものは難しい。 最初にチヤホヤするのは薬屋さんである。 何しろ製薬会社の最大のクライアントは「お医者様」である。 最終のコンシューマーはモチロン患者様であるが、とりあえず薬剤選択の権利のほぼ大部分を保持しているのは現時点では薬剤師の先生でも侵すことはできない。 この人々は「センセー、センセー」と近寄って来ては何がしかの薬 剤を買ってもらう為に必死であるが、これは営業マンであるから当然であるけれども、何せどんな若造のペーペーの新米の医者であろうと、この「選択権」を握っている唯一の有資格者であるので「個人」の医者に対する激しい売り込みをかけるという意味では世間の常識からすると結構特殊とも言える。 通常の取引であると会社と会社の取り引きであるのが一般的だが、医療業界と薬剤業界の場合、医者というのは一人一人が個人商店主のようなものであるが、また力関係で言うとこれまた現時点では医者の方が強い買い手優位の売らんがなの業界関係であるのだ。 しかしながらその実態は製薬メーカーの方がその資金力、組織力、業界団体そのものの圧力団体としての力は優良医療機器メーカーと同じく、はるかに「医者」の側が脆弱(ぜいじゃく)な体質である。 新米の医者が最初に味わう「自分が偉い」という体験である。 それから医師の資格を取得しただけでも、その人物がいくら未熟な人間であってもいきなり患者さんから「先生」と呼ばれて、何となくたてまつられる。 頼りにされる、相談される、時には尊敬される等と、偉い人間に対するような待遇を受ける。 その上、最初薄給であるものの場合によっては大して仕事もできないのに思いもよらぬ高給を受け取り、これでリッパな「お偉い先生」の出来上がりである。 その上、一流大学とか国立大学とかの医学部を出た人の場合、今は超のつく程の厳しい難関を突破するくらいの学業成績を得て、難しい試験を受けて合格したので、自らの努力とか頑張りとか精進についての誇りというか矜持、自負心、プライドを持ってしまうのでさらに始末の悪い「偉い人」になってしまう。 何もかも自分の実力で勝ち得た資格であると勘違いをしてしまう。 以上は医者の知性の豊かさと学習能力の高さを如実に物語っているものの、その医者をして「賢い人物」とか「アタマが良い人物」とか出るという存在を少しく毀損(キソン)してしまうところもあるようだ。 人間の価値はモチロン学業成績や、その有している資格の難易度と相関するものではないが、今でもそれらの人々に対してエリートと称してもてはやすところがあるが、これは弁護士資格(司法試験合格者)や国家公務員上級試験とか、時には飛行機のパイロットなども入ると聞くが、このような人々の中には勉学での苦労には誠に敬服するものであるが、その社会的苦労、人間の成長を培うものとしての労苦が少ないせいか、結構未熟な人物がいることがあり、さらに問題なのは根拠もない理由もない優越感とか自分はアタマの良い人間だという自惚れというものである。 この為に個人個人としての医者としては一人づつ田舎ではお山の大将だったり、都会では妙に屈折した人格を持つニヒリストだったりするようだ。 モチロン多くの医者というものはよく勉強をし、世の為人の為、患者さんの為に身命を捧げ、日夜奮闘されている方もおられて少し心苦しいが、そういう人々ですら、こと社会問題や経済問題や政治問題にはテレビや新聞レベルにとどまっており、実生活における社会の智恵や経済の知識には疎い人が多い。 つまり、ある有名な医療コンサルタントがたびたび述べておられるように「経済的認知症」と言えるかも知れない。 このコンサルタントの先生はオモシロイ人で、オレも認知症だとおっしゃっておられたが、何の認知症かというと「子供の認知」をしょっちゅうする「症」だそうである。 恐らく見栄を張って言い放ったハッタリであるが、ナカナカユーモアのセンスある方であった。 「自分はアタマが良い」と考えている人「プライドが高い」と考えている人は極めてだまされやすいのであるけれど、それは何かというと相手の話に乗ってしまうか、もしくは相手を見下している為に完全にナメてしまってだまされるというのがある。 医療コンサルタントと称する人々にダマす人が多いが、そうでなくても政府・行政にだまされる。 こちらは薬屋さんのおだてとちがって脅しというのに乗る。 つまり、政府の圧力に簡単に屈してしまうようだ。 昔は武見太郎という日本医師会のドンがいて、その政財界における人脈(吉田茂の縁家である)と鋭い本当の知性でもって官僚とかメディアに睨みを効かしていて、さらには医師会をひとつにまとめ固い結束力でもって政府に圧力をかけていたが、武見氏の死亡を境に急激に政府の逆襲が起こり、今や国民皆保険の存続も危ぶまれるくらい経済的に追い詰められている。 また病院勤務の医師は待遇の良さにダマされて堕落してしまい、まるで渡り職人のように節操のないお医者様も時々おられる。 巧妙に洗脳されて医局制度というものにもダマされる。 また開業医は色々な人にダマされる。 それは先述のコンサルタントをはじめ、病医院の建設時に不動産屋さん、建設業者、薬屋さん、医療機械屋さん、金融機関にダマされる。 そうして最後には税務署にダマされる。 これらの人々はグルになって医者を身ぐるみ剥ぐか、一生涯甘い汁を吸いつくそうと待ち構えており、医者はまるでドレイのようにその生命のつづくかぎり借金返済で苦しむか、倒産するか、自己破産するか、あるいはまたそこそこ儲けたけれども、税務署というお代官様が冷徹にもそのわずかばかりの金をむしり取っていく。 まさに医者残酷物語である。 なぜダマされるのか。 それはひとことで言えば「自分はアタマが良い」「何でも知っている」という自惚れとプライドが一番の原因であると思える。 「自分は何も知らない大バカである」「医者のプライドなどクソの役にも立たないから全部思い切って捨ててしまおう」 このような考え方と覚悟こそ現代の医療界を上手に生き抜く為の本当の実学的な知恵と思える。 時代は変わってしまったのだ。 お医者様が自動的に偉くてリッチになる時代は終わったのだ。 また、エラそうにフンゾリ返っていて成り立つ商売でもなくなったのだ。 モチロン全然勉強しないで成り立っていく商売でもない。 自らの商品力(技術とサービス力と人間関係力)を日々鍛錬し、磨きこみ、看護師さんやら事務スタッフと一生懸命力を合わせてやっとで成り立っていく普通の商売になったのだ。 専門医だからとか、腕が良いからとかだけでは生きていけないのだ。 今は経営者として、医者として、人間としての総合力を問われる一番の仕事が開業医者ではないだろうか。 ありがとうございました 濱田朋久 |